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広報映画『勝利の基礎(いしずえ)』の梗概

『昭和17年映画旬報』第47号の「文化映画紹介」から。なお、当時のフィルムから再生した「VHS」がある。

大日本帝国海の生命線を護って立つ未来の提督が揺籃の地江田島
 3年6か月、若き生徒達は朝夕燦然たる菊花の御紋章を仰ぎつつ、この江田島に寝食を忘れ勉學と訓練にいそしむのである。
 思へば明治2年、東京に海軍操練所が創設されてより70余年、雄々しく巣立った幾千の士官達も彼等と同じく此處兵學校に於いて厳格なる修錬の道を経、遂に帝国海軍を今日あらしめたのだ。

教育参考館
 此處には幾多の戦争、事變等に参加し名譽の英靈となった先達が、血と汗で築いた帝国海軍の光輝ある歴史の尊い遺跡が納められている。『江田島』の若き士官は、この光榮ある伝統精神を継承し、一且之を發揚して以て帝国海軍を益々光輝あらしめるべく朝に夕に修練する。3年の修練、それは激しい苦闘の毎日ではあらうけれども、これこそ今や7つの海を支配せんとする帝国海軍の誇る伝統の記録であり、勝利への基礎に他ならない。

生徒は入校の日から生徒隊に編入される
 生徒隊は數十個の分隊に分れ各學年の生徒若干名を以て編成される。分隊は常に訓練の基調 であり、分隊員は自習室、寝室等全て起居を同じくし、訓練の他競技は各分隊単位にて行は れ、一方學術教育のみは學年別に、1ケ學年を數個班に分ち將来海軍兵科士官として必須な る軍事學、普通學の修得に邁進する。
 海の武人海軍兵學校生徒もその目標に向かつて精進する。見敵必殺の精神は、実にこの1本の竹刀の先から育まれて来たものである。不撓不屈の精神は、一身を犠牲にして敵中に敢然と跳り込み、全力を舉げて敵の棒を崩す棒倒しの鋭い氣迫の中にひそんでゐる。

6時40分
 夕暮の光が反射し始める頃 1日の汗と埃とを浴槽の中で洗い落とす。

夜の自習室・五省
 自習終了前の五分前 1人の生徒が軍人の五ケ条を拝唱
  至誠に悖るなかりしか
  言行に恥ずるなかりしか
  氣力に欠くるなかりしか 
  努力に憾みなかりしか
  不精に亘るなかりしか

巡検までの語らい
 この五省を鮮かに暗誦し今日一日の言行を反省した後始めて彼等は床に就く巡検までの語らい

              ・・・・・・・・・・

海上を赤く染めて朝が来る
 修練の一日が明けた。 起床ラッパが生徒館に鳴り響く、起床動作はさながら戦場である。ベ ッドの片付け、整頓が悪いと江田島地震が襲う。

洗面、用便。煉兵場に急ぐ

朝の号令練習、総員体操が待っている

体操を終え漸くやく朝食

高々と軍艦旗が掲揚される
 ひと時の休憩を終え、続く分隊点検を受けるため、その日の課業の準備を整えたバグを小脇に抱え、散々伍々連れ立って生徒館前の煉兵場を爽やかな気持ちで散歩し、分隊監事の分隊点検を待つ。分隊点検の位置で千代田艦橋の方向に向き、マストに掲揚される軍艦旗に舉手の禮をする

分隊点検 課業整列
 勇壮な進軍ラッパの吹奏で行進・講堂に移動

普通学、軍事学の授業
 水雷術講堂、運用術講堂、通信術講堂(モールス信号の実習)
 (註)普通学講堂での授業は4号にとっては生き抜きである。難しい微分積分、熱力学、英会話、哲学等々は馬耳東風、仮眠をとる。文官の教官も大目に見てくれる。軍事学は本業となるので、興味津々である。

分隊の名誉をのせて力漕8浬
 身も魂も1枚のオールに集中して、たゞ勝たんが為め漕ぐ。必勝の信念は知らず知らずの間に彼等の胸中に植え付けられてゆく

(注記)この映画、真継不二男写真集には、厳島の弥山登山競技のことが掲載されていない。 
    秋の宮島の最高峰(525五米)を分隊単位で競争する。最後尾の生徒の登攀時間で成績が決まるので1号の督  戦がすごく大変であったる。その昔は宮島遠漕を終わってそのまま登山競技に入いったと聞く。実施時期  は宮島の紅葉の時期であるから上映、掲載されていないのである。か。ここで頂いた豚汁ともみじ饅頭の  味が今でも口の中に残っている。

銀翼を海の太陽に輝かせ乍ら整然と編隊の飛行機が飛翔する

三位一體の教育
 軍人精神の發揮を目標としたる精神教育。帝国軍人たるの特性を養い軍隊としての修練を積む日常勤務、體力の練磨。この三位一體、武徳の要道に邁進し、国家の禎幹たるべき人格完成を目標としての3年6ヵ月間の奮闘努力こそ、世界に誇る江田島健児の頑張りの記録である。

その頑張りの記録を母校に残して海軍兵學校を去る日は遂に来た
 畏くも畏き邊りより御差遣の高松宮殿下の臺臨を仰ぎ奉り、茲に第70期生徒卒業式は光榮と感激の裡に舉行される。見送りの後輩生徒に激励されながら海軍少尉候補生は校門を出て行く。
                ・・・・・・・・・・

弾盡き銃折れなば、刀剣をもつて戦うべし、
 刀剣もまた用うべからざるに至らば腕力を持って戦うべし
 腕力用うべからざるに至らば則ち精神氣魄を持って戦うべし!

負けるを知らぬ海のつわもの逹は、不敵の足どりで海へ征く、今や彼等の行く手には恐るべ き海洋は1つとてないのだ帝国海軍に榮光あれ、海のつわものに幸あれ!
 
(注記)
この70期生の卒業は急に繰り上げられて11月15日になったが、彼等を対米開戦に参加させるためであったという。式が終わるやいなや直ちに表桟橋から戦艦「榛名」で柱島艦隊泊地に行き聯合艦隊各艦に配乗した者が多い。既に配備に付くため同泊地を離れて出撃した艦船に配乗の予定者は広島駅から特急列車で横須賀に行き出撃直前の艦に深夜着任し、更に先航して行った艦船には金華山沖で洋上移乗の離れ業を演じたと聞く。

 そして彼らが始めて母校を訪問したときは、ミッドウエー海戦で惨敗した艦艇が呉に帰ってきて来島したと  きであった。これによってわれわれは戦局の危機を実感し、草鹿校長に早く卒業させてくれないと戦争に  間に合わなくなると請願したのはこの時期であった。

                       
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