[海軍魂ここにあり] ―海軍兵学校参観記―
木村 毅(註・文芸作家)呉鎮守府検閲済 |
(添付写真の説明)
翩翻たる軍艦旗の下、毅然として遥か水平線の彼方を睥睨する。太平洋の巨浪荒るゝ時、将来の提督を目指 す若き士官候補生の姿こそ頼母しき限りである。
太平洋に波さわぐ。しかし、我らは不動の陣を布いてゐるのだ。
日露戦争以来、臥薪嘗胆、策をねること40年。国民よ安んぜよ。海は金城鉄壁の備へである。
ところで海の男の鍛練場が江田島の海軍兵学校であることは云ふまでもない。此処こそ海洋日本の精華であり、又七洋の覇者の心臓なのだ。
(添付写真の説明) 逞しきかな、艦上の裸体操、こゝでは海軍独特の体操を行なつている。
その猛訓練ときたら、明くるから暮るゝまで、寸刻のひまもない。
5時半、起床ラッパが鳴る。たッた3分間の電光石火の早業で寝床をたたみ、着替えをすまし、洗面場へと駆けつけるのだ。
駆け足! 駆け足! 兵学校の生徒は何をするにも皆駈足である。だから石の階段に、白い砂の校庭に、靴がいつまでもザクザク ザクザクと鳴り響いてゐる。
夜が明け放れる。朝日がさす。真白で、白衣の高士のやうに荘厳な生徒館校舎兼宿舎の玄関正面に仰ぐ金の御紋章が燦然として映えわたる。
『この御紋章の屋根の元で、学び且つ寝起きするといふことは、吾々の一番大きな誇りです』と、兵学校の生徒は誰に聞いても眉をあげて語るのである。
(添付写真の説明) 校庭における射撃訓練、かくして陸上戦でも無敵である
朝の点呼。それから体操。雨気のすくない瀬戸内海は、空と海とが碧さを競ひながら合せ鏡をしてゐる。だからどんな些細な心の曇りでも浄玻璃に照らし出されるので、生徒は邪念といふものを抱く余地がない。
学科は8時から14時まで5時間だ。ここでは午後の何時といふことは云われないのである(添付写真の説明)艦隊と密接な協力をするのは航空機だ。先ず基礎から確りした学業を授かる。
(添付写真の説明) 模型戦艦にて砲術を練習する。海戦の勝負は、実に砲術の優劣に依つて決まるのだ。
(添付写真の説明) 大地を踏み鳴らす力強き四股、国技の相撲で不倒の体力を練磨するのだ。(添付写真の説明) 艦上の手旗訓練、科学戦時代にも軽視出来ぬ信号法なれば一生懸命だ(添付写真の説明) 六分儀測定は航海の基本訓練だ、教官と共に真剣な測 がつづけられる.
(添付写真の説明) 学校前に備へた艦に赴いて、実際と照合しての実地訓練である.
14時20分から1時間自選作業―と云ふのはつまり、学術でも、武道でも、好きな科目を自習する。
15時30分から体育の訓練、これには柔道、相撲、剣道のごときわが国本来の武道や国技もあれば、野球庭球の近代的なスポーツをやってもいい。
日没と共に入浴。17時30分から夕食だ。
大きなアルミニュームの食器に、飯は八分目盛つてある。一寸のぞいてみたら、お菜の方は肉と大根と糸蒟蒻との煮こみ
だった。飯も菜も盛りきりの一杯で、お代りはできない。最少17、8(歳)から最高21、2までの食ひ気ざかりの青年だから、これでは飽食するわけには行ゆかないのである。どうしても、もっと食ひたい。ところが、体重18貫以上あると、普通は椀に八分目が、特にたっぷり1杯、飯がよそって貰へる規定なので、そうした連中の、いや、他から羨まれること、羨まれること! 又、火、木、土曜の晩にはハトロン紙に包んだ菓子がわたる。これがみんなから待たれることときたら、大旱の雲霓どころの比ではない。
食後の3時間は自修。
そして、就寝ラッパの鳴る前に、特に兵学校の特徴とすべきは自省時間といふものがある事だ。
(添付写真の説明) 就寝前の自習室の瞑目、斯くして兵学校魂はいよいよ磨上げられる
(添付写真の説明) 飯も菜も盛りきりの一杯に舌鼓を打つ、整然たる校内大食堂である
各自の自修室で、当番の学生が先ず軍人勅諭の5項目を奉読し、それから『五省』をよみあげる。
それは
1 至誠に悖るなかりしか2 言行に恥づるなかりしか3 気力に欠くるなかりしか
4 努力に憾みなかりしか5 不精に亘るたかりしか尤もかう並べ立てただけでは、大した有難味もないが、この学校では当番が1項目よむと、みんな数分間瞑目して、じつとその一日にやったことを、おもむろに反省するのである。そして又当番が次の項目の朗読にうつるという順序になる。
(添付写真の説明) 私達が参観を許された室は第3学年の一室で、久邇宮徳彦王殿下(註・71期生、2分
隊)が瞑目御自省しておいで遊ばした。この学校には名家の子弟が非常に多い。だが、どんな家柄の生まれでも、特殊の優遇をせられるといふことは断じてない。
私たちの見た時、東郷元帥の令孫(註・良一、71期で入校したが72期で卒業、摩耶で戦死)は居合い抜きをしてをられたし、徳富蘇峰氏の令孫(註・敬太郎、71期で入校したが病気のため休学、73期で卒業)は体操をしてをられた。
兵学校の生徒の心構への基本となるのは『5分前精神』といふことにある。5分前には、万端の準備を整へて、命令一下の出動の時を待つあの緊張だ。
陸軍では、勝利は最後の5分間にありと云つて、吾々も在隊中に教はつた。海軍では、軍艦で戦争する関係上、その留めを刺す時よりも、むしろ、いざ取っ組む前の5分間の心境に重きを置くことになる。
この一つの現はれが操端競技で、これは陸軍の非常呼集と同じく、いつ、警笛やラッパが鳴るやら分らない。鳴つたら最後すぐ舟乗りの時の服装に着替へ、大急ぎで端艇にのり、ともづなを解き、櫂を握って、いつでも漕ぎ出せるように満身の緊張を持して待機するのだ。即ち5分前精神鍛練の典型的なものと云へるであろう。
学校には教育参考館があり、東郷元帥の遺品を中心に、凡そ海軍精神鍛煉に資する古今東西の資料が集められてある。
ネルソン提督の髪の毛も1筋あるのは、親善時代のイギリスから、この学校に敬意を表して、わざわざ送つてきたのだらう。
生徒は、自修室には、教科に直接関係ある書物でなくては、備へることを許されぬが、読書室では修養に資する限り、一般的な書物も許可を得て読んでよいのである。
書物好きとしては、天下に聞こえてゐると云つても大袈裟でたい私は、好奇心を起こし、一体どんな書物が心の糧とされてゐるかと思って、30冊ばかり机上に積まれてゐるのを点検してゐると、その中に自著『明治名将伝』を見出したのは、少々恥しくもあったが、又愉快でもあった。
けだし海防義会長の上田良武海軍中將に一本を献呈したら、一読の後、兵学校にゐる伜
(註・71期の上田良和・伊5号潜水艦で戦死)に送ってやったと云つてをられたから、多分それだつたのだらうと思はれる。
(添付写真の説明) 就寝前の自省時間の瞑目、かくして兵学校魂はいよいよ磨き上げられる。
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