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[軍神を生んだ海軍兵学校
真杉静枝 註女流小説家、明治34年〜昭和30年
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江田島の海軍兵学校を、はじめて見学した。
いづれにしろ、軍人がつくり出される学校をみるのは、はじめてなので、感心することが大きかった。
九軍神が発表されてから、この海軍兵学校の生徒達に送られる母親達の手紙の中にも、お前は負けずに、軍神と謳われる人間になれと、かきこまれてくる事が多くなった、と、教官の笹田中佐が話して居られた。
母親の手紙が、女々しく、盲愛に包まれていて、お前の夢ばかりみます、とか、うまいものをたべさせたい、などと云ってくる生徒は、やはり、なかなか、いはゆる江田島健児の面目を身につけることができなくて、かへって、冷酷にすらみえる、母の、厳格な手紙の方に、少年の未来への野望が奮ひさまされるものである、といふ教官のおはなしにも、なるほど、とうなづかされるものがあつた。 ともあれ、江田島の、内海に面したこの海軍兵学校の雰囲気は、実に厳しく、しかし、実に、ほつとするばかり底あたたかいものであつた。
軍神と謳はれ尊められるも、提督と輝くも、この学校が、そこへ発足する起点である。体質の隅々から、魂の奥底、容姿の一挙手一投足までが、こゝの3年間の学窓生活の中で叩き直される。
学科も高等学校程度の常識のほかに、専門的兵学が加へられるといふほどの詰め込み方であるから、この学校の、丸い坊主刈り頭の少年達の頭脳は、も早、素質的にも提督であり、軍神であるわけで、選ばれた少年達である。
軍神の1人である岩佐中佐の、かっての自習室であった、といふ、第19分隊自習室をはじめ、沢山な自習室、寝室などに案内されたが、人格の培ひは、こんなところから始められてゐるものであらう、その整然と、小気味のよいまでに整理されてゐること。机の中を開けてみても、どの机も、女の私などが恥かしがらねばならない片付けられ方で、それが、午前五時半から、午後9時まで、ぎつしりと詰まつてゐる時間割の激しい日々の中で、立派に習慣になつてゐる。
午前5時半に、起床ラッパが鳴り渡ると、各分隊の寝室はずらりと並んでゐた、細いハンモツクほどのベツトから生徒達は、はね起きるのだけれど、この起床から着服、毛布畳みの時間まで僅かに3分間。みてゐると、みんな、殆ど機械仕掛けの人形みたいに速い。下着上着ズボンといふ風に習慣になつた体操のようにつけてゆき、ズボンをとほした脚が、そのまま、すつと、下の靴の中に入つてゐる。同時に、手が枕許の帽子をとつて頭にのせてゐる。
ガタガタと洗面所へかけ出してゆく。1日じゆう何かをしているか、走つてゐるか、それ以外に雑談をしたり、のろのろと歩いたりしてはならないことになつてゐるので、みんな、いかにもゆれてゐる甲板でも走るやうな軽快な一定な姿勢で走つてゐる。
さて、3分間で着服、寝具たたみを終つてかけ出していつたあとの、広い無数に寝台の並んだ室内をみると、ずらりと並んだ寝台の上にたたみ込まれた毛布が、室の端から端まで、まるで定規で押したように、実にぴちつと、列がそろつて置かれてゐる。
この習慣に、私達は、思はず、感嘆の声を疾つきもらした。 船の中の共同作業にとつても、かういふ訓練は必要なのだそうであるが、尚ほ、教官は笑ひながら、ずらりと並んだ窓硝子の方を示された。
「これも、きちんと、線を引いたやうにそろつてゐなくてはいけないことになつてゐます」 窓硝子が上へ押し開けられてゐるが、その高さが、これも、建物全体の、何百といふほどの窓が線で引いたやうに同じ高さに、開けられてゐるのであつた。
窓からは、内海の、濃藍色の、湖水ででもあるやう静かな海面に、黒い練習艦の姿が刷き出たやうにみえる。一方の窓に、この学窓生活にとつて忘れられない、古鷹山の、うづくまる姿がみえる。
死を覚悟してからの岩佐中佐が、それとなく、2度までもこの母校を訪れて、懐しい、古鷹山に登り、また、ここから、短艇で宮島まで遠距離櫂漕に出かけた時代をしのび、一人で宮島へも出かけられたということだつたが、中佐の死の確信にとつては、この学窓の回想ほど、安らかな静かなものは、なかったことであらう。
ここで培はれた魂が、この度の死を決意させたものにちがひないのである。
校庭にある、教育参考館に陳列してゐる、佐久間艇長の遺書、広瀬中佐の遺品などをはじめ、今事変にいたるまでの歴代の軍神の遺品は、おのおの、その人格の高烈さを、生徒たちの心に語りかけてやまないものがある。
1日じゆう、沢山な学科と、朝の裸体の体操を始め、午後の相撲、柔道、剣道その他の、体育の猛訓練のあげく、夜になると、生徒達は、明るい自習室にその白い浴後の服を着た姿で、きちんと、机の前に肱を張つて腰かけてゐる。
猛勉強である。
これが終つて、午後9時に、有名な「五省」の時間になる。生徒達は、その机の前に姿を正したまま、黙想す。
五省
1、至誠に悖るなかりしか
2、言行に恥づるなかりしか
3、気力に欠くるなかりしか
4、努力に憾みなかりしか
5、不精に亘るなかりしか
の1つ1つを、室の伍長( 註・伍長ではなく、分隊の総員が順番に、交代で行なうようになつていた。当番に当ると間違えては大変なので緊張したことを思い出す)、1つづつ反省の間をおいて、静かに心の中を探し求めるやうな口調で唱へゐる。
これが終つて就寝までの15分間を、寝室で、はじめて雑談が許される。就寝ラッパが鳴るとこの学校の幾棟もの白亜の生徒館の窓は、やがて、パツパツと、星空の下で灯を消してゆく。
あのハンモックみたいな細い寝台の、毛布の中に、健康の体を真直ぐにのばして、丸い坊主刈りの頭を、ずらりと並べて眠りについた、未来の、提督、軍神達は、やがて、内海を渡つて吹きつける松風の音の中に、はたして、どんな夢を見てゐることであらう。
私は、この少年達のお母さんがたに、このすこやかな眠りの有様を、伝へてあげたい思ひにゆれながら、学校の白砂路を辞し去った。
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