リンク元に戻る

第1 戦没者の鎮魂(331名)

 あの大戦で期友381名が祖国の危機に敢然として殉じた。
戦没者(戦死者、殉職者、戦病死者)も、紙一重の差で生存した者も,
共にその道は自らの意思で選んでいた。

 1 戦死者  

(1)昭和17年末、 卒業時の戦況

年月 戦 況 期友の状況等 戦没者数
11

12月
14日 581名卒業、海軍少尉候補生
第3次ソロモン沖海戦
ルンガ沖海戦
15日、少尉候補生前期実務実習開始(2ヵ月間)
聯合内海西部にある艦隊「柱島泊地」を基地として戦艦6隻で実施
長門・武蔵
扶桑・山城
伊勢・日向

(2)昭和18年中の戦況、 そして期友の戦没

1月 少尉候補生前期 
 実務実習終了
昭和天皇に拝謁 特別列車
で上京 
ガダルカナル島撤退決定

レンネル島沖海戦
・後期実務実習開始(少尉任官迄)

・5日新任地に赴任(581名)
大型艦に配乗(352名)
駆逐艦に配乗(42名)
潜水艦に配乗(19名)
最前線陸上部隊に配属(71名)
第39期飛学生に入隊(97名)
海兵団等に配属(2名)
 
2月 「ガ」島撤退作戦 「ガ」島撤退作戦開始駆逐艦配乗の期友参戦 『遥かなる回帰の海』参照
(兵七一会駆逐艦部会編集)
 
3月 ソロモン海域の攻防 浅田 実(朝潮) ダンピール沖への船団輸送 艦艇2名
木村三郎(村雨) 米駆逐艦のレーダー射撃で被弾
小西哲夫(生還△)
 4
 〜
 5
 月
山本五十六長官戦死(4・18)
6月 1日 海軍少尉
8日陸奥爆沈 ・上村徳正、黒田盛雄、松尾隆司、舛見洋六 戦公死(瀬戸内海柱島泊地) 艦艇4名
キスカ撤退 ・赤壁行郎 と 松田広和 キスカ撤退の潜水艦作戦 潜水艦2名



ムンダ撤退
クラ湾夜戦
「コ」島夜戦
ベラ湾夜戦
イタリア降伏
川原俊行 と 細川奨一(神通〕
・園田義喜(嵐)
・巽 二郎、所 善治、山崎祐俊(川内〕
・山口静夫(初風)
・松原正治<阿賀野大破ララバウル港>
ソロモン海域での作戦 艦艇8名
10

11
  月
ラエ撤退
ベララベラ沖夜戦
ブーゲンビル沖夜戦
セントジョージ岬海 戦
マキン、タラワ玉砕
飯田貞行(早苗) 船団護衛中(セレベス海) 艦艇1名
12月 マーカス岬に来敵
徴兵年齢19才に
引下げ
・橋口 勝(五十鈴被爆・小破) 単独被弾・戦死・クエゼリン環礁内 艦艇3名
鈴木文雄(冲鷹) 輸送空母、航空機輸送中、八丈島近海
・香月武彦(沼風) 船団護衛中(沖縄東方海域)

(3)昭和19年中の戦況、そして期友の戦没

1月 マーシャル玉砕

クエゼリン玉砕
井上 洸 と 友成通泰(涼月艦橋部分切断) 初月(斉藤孝雄)とウエ−キ島に陸軍部隊の輸送時 艦艇3名
潜水艦4名
・市川 毅(涼風) 船団護衛中(ブラウン島)
・荒木 洋、平尾淑人、河野幸生、寺西是則 潜水艦作戦
2月 トラック大空襲

 17、18日
田中常之(香取) トラック環礁外、敵巡洋艦群主砲砲撃による 艦艇4名
潜水艦2名
・亀山二郎(松風・中波) トラック環礁、被弾重傷病院船で戦傷死
・七条一成(潜水艦) トラック空襲で鎮座が間に合わず
機銃射撃で応戦中被弾戦死
・松永正道
・山下 肇(那珂)
ラック環礁西方航行中被爆沈没
中村利夫(重傷)
・中島千弘(イ43潜) 新造後の初陣・トラック島への進出中
3月 15日 海軍中尉 
パラオに初空襲

古賀長官行方不明
 31日
・阿部 守、藤村卓也、高山重威 潜水艦作戦 艦艇1名
潜水艦3名
便乗 1名
川内 浩(落下傘部隊) ・潜水艦に便乗・ラバウル進出中
近藤三嗣(若竹) パラオ港外で被爆・沈没
4月 ビアク島に敵上陸
(サイパン占領布石)
・小林仟人(雷)
・松本 宏(便乗・陸警隊員)
第44警備隊、松本小隊をトラックからブラウン島に輸送中 艦艇 1名
便乗 1名
潜水艦3名
堂園利徳、岩崎幹男、久保良正 潜水艦作戦
5月 新長官豊田副武中将着任
  ・有薗 勝、東 襄、萩原達雄、山本達雄 潜水艦作戦(敵の対潜掃討能力が飛躍的に向上) 潜水艦4名
6月 マリアナ沖海戦
 
(あ号作戦)

サイパン島に敵上陸開始

ビアク島に上陸・同島玉砕

連合軍ノルマンジー上陸
藤井宗正〔タウイタウイ島近) 船団護衛作戦 艦艇4名
潜水艦7名
航空12名
兵整備1名
前田前吉、宮崎恭二、中山栄一 航空作戦(日本近海の哨戒)
・荒川不可思 空母配乗搭乗員・未帰還(6・19)
・西 昇士、大坪次男、岩野 正
・池田健吉(兵整・翔鶴)
・土師延夫 と 浅井良一(翔鶴)
空母沈没(6・19)
・小久保喜八郎(隼鷹)
・谷川洋一(搭乗員戦闘から帰還、飛鷹)
空母乗組((6・20))
・竹石 巌、末吉作之助、米満尚美
・斉藤史郎(硫黄島作戦)
基地航空隊から作戦 
・小竹 弘、池田三郎 潜水艦作戦(サイパンに急行中)
・大野勝雄、菊地 恭、門前宏、熊野武雄
・松薗正信(イ52潜) 訪独連絡往路<ビスケイ湾手前>
サイパン島玉砕
テニアン島玉砕
グアム島玉砕
・斉藤 実、和久利芳夫、西山亮次
・柳生喜代治
(横須賀落下傘部隊)
サイパン島玉砕(6・16〜7・5) 艦艇4名
陸戦7名
潜水艦7名
航空 4名
兵整備1名
7月 ・平田茂夫(第55警備隊)
・深佐安三、浜本平治,後藤恭祐
 (特潜隊、待機中)
・河本通明、養田秀穂、上田良和 潜水艦作戦(サイパンに急行中)
武田元孝(警備隊)
・杜 三義(兵整)
グアム島玉砕(7・27)
・水門 稔 潜水艦作戦
(ドイツ連絡の帰路・シンガポールから内地に向かう際台湾海峡付近で)
・河野千俊(玉波)、長沢輝夫(帆風)
・中村邦治(薄雲)
船団護衛中
・川瀬 勤(朝風)
・佐竹隆俊(第56警備隊)
・兵頭真男(321空搭乗員、
洞窟内で割腹戦死
テニアン島玉砕(8・2)
8月 ・数野正幸(硫黄島作戦)
・山田蒼和(千島・航空哨戒中)
・今若勝雄(ダバオ上空・僚機と接触)
航空作戦
9月 ペリリュー玉砕
米軍ウルシー環礁占領
・坂室幸雄(ダバオから索的) 航空作戦 航空1名
潜水艦2名
重本剛(大鳥島への丹作戦用軍需物資輸送)
・清宮恵彦(比島方面索的)
潜水艦作戦
台湾沖航空戦
 (10・11〜15)
・平岡一万(台湾・新竹) 航空作戦(9・16) 航空25名
10月 ・岩石博明、大月陽三郎、内藤良雄、若林重美、八島準二、柘植勝彦、
・海岸照準、川戸浩、伊藤正臣、藤野昌司、安達 裕、小島 威、加藤正雄、・長野重喜。多賀俊雄、多田芳太、加藤正一、加来 滋、日向大美、
・永田慶十三、加来哲哉。本下直輝、池中 勇、徳永喜邦
フィリピン沖海戦
 (10・24〜25)

米レイテ島に来攻・上陸

レイテ島オルモックに来敵
・(基地航空部隊)
 和田圭三、道口俊夫、大畠敏雄、土井邦博、松井 康、信田秀夫、佐野礼司
 斉藤松紀
・(母艦部隊)
 小松正文、井上 至
航空13名
横尾一(キャビテ〜出撃、敵発見〕 飛行艇による索敵
田中 勉、染谷 甲  航空作戦
奥西平治(旗艦・愛宕
田結 保(筑摩)
・田辺雅孝と木下武雄(鳥海)
フィリピン沖海戦(捷号作戦)
・栗田本隊サマール島沖
・小沢本隊エンガノ岬沖
・西村支隊スリガオ海峡
 
沈没艦
 
武蔵、鈴谷、摩耶、鬼恕、能代
 阿武隈、最上
艦艇13名
潜水艦2名
航空16名
兵整備1名
・池田嘉夫(千代田)
・青山清(千歳沈没・兵器整備)
・中地勘也(多摩)
・井上速雄 と 成瀬美夫(扶桑)
・渡辺朋彦(満潮)
・渡辺 譲(山雲)
・川畑 努(浦波)
・中島正俊(不知火)
志摩部隊・スリガオ海峡突入を断念し脱出語の帰途
・波田野正七
・今井千秋
潜水艦作戦
11月 ・石井 恒、古茂田茂  小熊善治郎、 ・高田栄吉 大平 高、鬼頭清一郎
・尾辻是清 中島浩二  西田 潤
・畠山 信
航空作戦
・福岡 進、団野功雄、藤本 勇
・土屋和夫、
赤座 励、竹林正治
・池野達郎(金剛)<台湾海峡北部> 捷号作戦の残存部隊(大和、榛名ほか)の内地帰還時・浦風(沈没)
米駆逐艦3隻・台風で沈没

ミンドロ島に上陸


レイテ島増援作戦
(多号第7次迄)
・三木稠久(秋風)、石川杳平(若月)
・立入仁と河崎秀章(霜月)
・原田 実(秋霜)
駆逐艦作戦 艦艇 6名
潜水艦2名
航空9名
・鈴木政則と湯嶋努(搭乗員)(神鷹)
・横田雅行(海鷹・搭乗員
護衛空母の船団護衛(東シナ海)
・平田光久(偵察)
・仁科関夫(回天特攻・ウルシー突入)
潜水艦作戦
・厚地篤彦(上海・邀撃)
・坂本幹男(B29体当)
  <故郷の大村上空>
・赤座 励、市川博憲(対潜護衛)
・鮎川幸男、渡部一郎、竹田 進
航空作戦
12月 1日 海軍大尉
レイテ島増援作戦(多号作戦

・小平清人(桑)、福本淳司(桃)
・若命宗雄(呉竹)
護衛作戦(ルソン島近海) 艦艇3名
航空17名
・岡俊夫、江尻 慎、佐川 潔、大渕浩  ・二神 勝、岡田善平、有川純男
・中島誠也、清木英雄
航空作戦
山下 豊(対潜哨戒〕
・青木 進、辻 誠夫 ミンドロ島・邀撃
本土に機動部隊来襲 ・入江静憲(厚木空・帝都防衛邀撃) 関東地区での邀撃戦闘
・山下 格、田中恭平、田中孝、木原俊秀

(4) 昭和20年中の戦況、そして期友の戦没

1月 ルソン島に米軍上陸 ・桑村豊吉と鈴木正彦(樅)
護衛作戦 艦艇5名
潜水艦6名
航空9名
石川二助(米西岸交通破壊・行方不明資料なし) 潜水艦作戦
・兼松良英、加賀谷武(回天)
・大賀 秀、平山元清、石田治正
・金谷真一、久保栄二(マリアナ偵察)
・米持文夫、三重堀文吉、本多 行
・木下芳夫、池田春男、斎藤精一
航空作戦
・山崎健太郎(震洋隊・マニラ)
・西村幸雄、水谷弘康
 (元夕月・マニラ市街戦)
ルソン島攻防作戦
・後藤甲子夫 硫黄島の防空作戦
2月 硫黄島に米軍上陸 ・松崎弘栄(楓・被爆) 護衛作戦 艦艇 1名
航空 9名
・白石正義 航空作戦
・岩根 剛、松村栄之 硫黄島での潜水艦邀撃
・小林幸三、山下 格、田中恭平
・荒瀬 清、田中 孝、木原俊秀、
関東地区での邀撃
3月   ・岩嶋貞雄 航空作戦(陸戦に移行)
艦艇 1名
潜水艦1名
航空15名
大岡高志 ウルシー銀河特攻
・山口守人、槙 恒方 海南島基地
・南シナ海での航空対潜作戦
・宇野 篤、永友知義 西日本での邀撃
・中村恒夫、金指 勲 航空特攻
・嶋 幸三、松崎国男 呉地区での邀撃(3・19)
浜尾 誠(大淀) 呉港内(機銃掃射で被弾)
志賀素良 串良での邀撃(サイパン沖航空戦に参加生還)
三橋謙太郎、伊沢勇一、西原雅四郎
・佐久間洋孝
神雷特別攻撃隊(失敗)
・大河信義 沖縄作戦・蛟竜突入
4月 沖縄に米軍上陸

大和海上特攻作戦
・徳島清雄 海防艦に便乗・帰国中 艦艇 3名
潜水艦4名
航空 19名
兵器整2名
・松山 愛と佐藤 孝(航空兵器整備) マニラ・ルソン島で陸戦行方不明
清水 真、寺岡達二、時山 武 大和突入前の沖縄海域攻撃
・臼淵 磐と新井伝次郎 大和海上特攻作戦
・宮武信夫、児玉光雄、桑原 知
・成田金彦、俣野 博
菊水作戦
本田 実、寺本秀也、藤川 誠 沖縄南方の米機動部隊攻撃
・金子忠彦、石森 学、沢柳彦士 菊水2号作戦
・川島 巌(蛟竜・沖縄・八重山 潜水艦作戦(陸戦に移行)
・高橋恭二、坂本 浄 菊水3号作戦
・佐々木久弥(一式飛行艇) トラック島に単機にて物資輸送成功後の帰路・環礁内にて
・三枝一徳、神保正夫、佐藤俊夫 潜水艦作戦(沖縄、回天搭載作戦)
・渡辺義昌、川西正一 菊水4号作戦
5月 ドイツ降伏 ・村上勝己、松友省平、志々目宣正
・谷木義朗、小早川浩、深谷 肇、片岡力
・福田定男
航空作戦 艦艇 1名
潜水艦2名
航空 8名
・山口孝彦 と 野元佑一 潜水艦作戦
・中島文生(羽黒) 足柄(大山)、神風とアンダーマンに物資輸送中、ペナン沖で英艦隊との遭遇戦撃沈される
6月 終戦の裏工作始まる ・田中栄一、小田野忠二郎 航空作戦 潜水艦1名
航空 2名
・宮ノ原安男(回天作戦) 潜水艦作戦〔サイパン東方海域〕
7月   田中俊二(攻撃終了後四国山中墜落) 航空作戦
艦艇 1名
潜水艦3名
航空 2名
・宮本由松と松永謙徳(便乗〕〔内地への帰還途中) 潜水艦作戦
・柏屋憲治と大曲昂介
 (トラック島彩雲輸送)
・伊熊隆平(特潜) 訓練中の被弾戦死
・原田盛之(梨) 米機動部隊航空機の攻撃
・大幸一喜 ・13空(マレー)
・台湾経由沖縄航空攻撃
8月 広島原爆投下
長崎原爆投下
 
15日・終戦 斉藤義夫(5日・航空邀撃戦闘) ・関東地区での邀撃航空戦闘
・クラスで最後の戦死者
航空 1名
9月 25日 ・小山悌二(自決) ヤップ島警備隊 警備隊1名

 2、殉職者、戦病死者のまとめ  「▼」印は戦病死、「※」印は殉職を夫々示す

潜水艦事故・殉職
内山英一 ※041 19・4・7 トラック環礁内 駁撃回避のための鎮座中の事故

航空殉職者
池永 靖 ※304 18・11・13 霞ヶ浦航空隊 プロペラ事故
松井武彦 ※305 19・1・13 宇佐航空隊 卒病直前の事故
後藤正之 ※306 19・3・1 大分航空隊
金子和夫 ※307 19・4・30 筑波航空隊  
和田田義炳 308 19・5・28 鹿屋航空隊 事故の詳細不明
河口太門 ※309 19・4・1 新竹航空隊 山麓に激突
岩佐 之 ※310 19・7・14 台南航空隊 追跡訓練中
北川正敬 ※311 19・7・18 横須賀航空隊 彗星、実験事故
辻堂射爆場
伊達 尚 ※312
中村保輔 ※313 19・8・4 神ノ池航空隊 雷電、着陸時の失速
高橋重雄 ※314 19・9・24 横須賀航空隊 彗星、別府湾上空
岡本俊也 ※315 19・10・7 鹿屋航空隊 彗星、急降下訓練中
上野博之 ※316 19・9・11 厚木航空隊 雷電
森本和次 ※317 19・10・9 月光夜戦・横浜市
村松 功 ※318 19・12・11 百里航空隊 彗星
美田雄次郎、後席脱出
田野 功 ※319 20・1・5 筑波航空隊 紫電
曽山威人 ※320 20・2・31 松島航空隊 中攻、指令の霞空用務飛行中、松島湾
亀井温行 ※321 20・5 ・4 鹿児島航空隊 零戦、着陸時の事故
42期飛

戦病死者
田村 万 ▼322 18・11・28 「大和」で発病  
町田正雄 ▼323 19・ 1・30 練習航空隊で発病 南方勤務の過労
松浦二六 ▼324 19・3・23 金剛にて発病 故郷の別府病院にて
佐伯雅司 ▼325 19・5・16 迅鯨で発病  
若林 守 ▼326 19・10・22 候補生時の発病 長期療養の後
橋本邦一 ▲150 19・10・27 比島沖海戦に参加
作戦の帰途愛媛県山中に墜落
戦病死と認定
吉田邦雄 ▲216 20・7・30 マニラで陸戦移行 熊雄で沈没後帰国待ち中マラリア発病・戦病死と認定
小川義尚 ▼328 20・6・26 潜水艦で発病 戦後の病没・肺浸潤
新谷隆好 ▼329 21・ 3・28 航空部隊における過労 結核
森 和夫 ▼330 22・ 2・ 2 榛名で発病 腸結核
三宅春彦 ▼331 22・ 3・15 蔦で発病 腸結核
終戦時・自決
小山悌二 ▲303 20・9・25 ヤップ島警備隊 詳細は72期池田誠七氏による

3、終戦時の残存各部隊と期友

残存部隊機関 内地海域 外地海域 備 考
水上部隊 大型艦艇 1 名 3名 4名  
駆逐艦 13名 2名 15名 稼動艦のみ
潜水艦部隊 イ号、ロ号潜水艦 8名     8名  
ハ号潜水艦 19名     19名 艤装艦を含む
特殊潜航艇 31名 2名 33名  
潜水学校学生
・司令部付
12名
4名
  6名 高等科潜水艦課程
航空部隊 搭乗員配置 101名 13名 114名  
兵器整備員 6名 7名 13名  
陸上部隊・機関 警備隊・陸戦隊 6名 9名 15名  
兵学校等教官 8名   8名 航空隊・潜校を含む
その他 海兵団等 7名   7名 戦傷、病気療養中の軽配置で
  216名 36名 252名 戦後の戦病死認定 2名

上に戻る