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敵基地攻撃と東方海域哨戒
  
(攻撃第四〇五飛行隊)
古茂田 実
小熊善治郎

海軍大尉 古茂田 実
 
日向 39期飛学生 宇佐空 攻四〇五
一九年一一月五日戦死 ニーオ七月
 市立第一中学校(東京) 父甲午郎 母幸
 第三〇分隊の遊泳係 短艇係

海軍大尉 小熊善治郎
 
山城 大井 40期飛学生 偵四 攻四〇五
一九年一一月五日戦死 二一オー一月
 道庁立余市中学校 父善書 母ナミ
 第四五分隊の伍長 電機係

 レイテ湾及び同沖の敵機動部隊に対する神風特攻が引き続いて行なわれていたが、敵機の逝撃もますます強化されて、昼間の攻撃は困難となり夜間でなければどうにもならない状況となってきた。
 
 攻四〇五の古茂田実中尉は、五日午前一時四二分にクラークフィールド基地を発進して、タクロバン飛行場の夜間攻撃に参加し、任務終了後基地に帰投中、あと三〇分のところまで無電連絡を保っていたが、それ以後急に連絡を絶ち帰還しなかったという。どのような最期であったろうか。

  同じ日、同じ飛行隊の小熊善治郎中尉も比島東方海面の哨戒索敵のため、同基地を午前六時五〇分発進したまま同様に消息を絶った。同じ日に二人の期友が出撃してそれぞれ戦死するというこの事例が象徴するように、この方面の戦況はもはや極度に悪化しており、可能なかぎりの努力を航空支援に払って実施された第三・第四次多号輸送ではあったが船団及び護衛部隊はそれぞれ大損害を被ることになった。