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東支那海にハルゼー艦隊侵入

特攻・(戦闘第二二七飛行隊) 斎藤精一

海軍中佐 斎藤精一
 
伊勢 大和 40期飛学生 横空 戦三一七 戦三一六 戦三一七
 二〇年一月二】日戦死 二三オ一月
 県立角田中学校(宮城)父了道 母まさ子
 第六分隊の遊泳泳係 銃剣術係

 一月九日、米軍がリンガエンに上陸しルソン基地からの攻撃が予想されて南方戦略物資の内地還送が危ぶまれるに至った。この頃内地にある油は全部で約一〇〇万キロリットル、年間所要量の数分の一に過ぎない状態であった。

 一月一一日朝、米機動部隊が初めて南支那海に入ってヵムラン湾を奇襲した。これによって仏印沿岸にあったタンカーを主とする重要船団一〇隻合計約五万トン及び 「香椎」その他艦船一〇隻が撃沈された。更に一五日及び一六日台湾、香港、三亜、海口、仙頭、度門等が空襲を受け数隻が撃沈され、一〇数隻が撃破されたが、わが部隊はニー日までこの敵部隊を攻撃することができなくて、ただ無線方位測定でその所在概位を推定するだけであった。
 
 制海権を失ったうえ、比島と支那大陸を基地とする米制空権の下では、南方油の還送は非常に困難な作戦であった。しかし、目の前に迫った沖縄及び本土への敵の進攻を控えて、航空兵力の増強、特攻兵器の急速整備、国内生産のギリギリの要請から、いかなる危険を冒しても石油と重要物資を運ぶ必要に迫られていたのである。
 
 こうした状況で二〇年一月二日、「大海指第五〇〇号」によって、《燃料並二重要物資緊急還送作戟》の実施が「南号作戦」として指示され、陸海軍が協力しておよそ使える限りの水上艦艇、航空機を動員して行なわれた。

 三月九日に「南号作戦」終了が令された時までに、多くの船団が北上して、時には成功して枯渇に瀕した本土決戦の油事情に一棟の光明を与えたこともあったが、被害も又極めて大きかった。

 空母計一三隻からなるハルゼー艦隊は、仏印各地の基地及び航行船団を攻撃し、猛威を振るった後太平洋に出てその直後の三日の日出前に台湾を空襲した。このハルゼ一部隊に対し、台湾に引揚げ新に編成された神風特攻新高隊が台湾基地から、一部比島から出撃突入した。
 
 第三新高隊には、当時ツゲダフオ基地になお頑張っていた斎藤精美尉も爆装の零戦をかって参加し、敵空母カウヘンス号に向った。
 
 対空防御網の発達した同部隊は、《敵大編隊、第二群に向う》との警報によって遊撃戦聞機二か中隊を上げて待ち構得ていた。その綱の中に斎藤大尉たちの特攻隊は突込んでいった。結局遊撃機に捕捉妨害されて敵空母群を発見できずに帰着したが、斎藤機は消息を絶ち未帰還となった。敵との交戦で被弾自爆したのであろう。斎藤大尉は、徳永喜邦中尉=○月一六日戦死)や津曲正海と同じ飛行隊であり、台湾から比島に転戦した歴戦の士であった。