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1、海外からの帰国・脱出 (生と死は紙一重)

 前線からの帰国については、艦隊勤務(水上艦艇)は、作戦が終われば整備のために定期的に、または被害があった場合に母港に帰投できた。しかし、航空部隊で戦場となった基地に在った者及び前線の陸上部隊勤務者は来敵を迎え玉砕するしかなかった(サイパン島、グアム島等の場合)。この場合、航空関係者は万難をはいし自隊の航空機で後送したが、最後には潜水艦、艦船を派出したが多くの犠牲を出したテニアン島から、ルソン北端のバタリナオ港からの脱出作戦には悲喜こもごもの人生模様が印象に残る。

(1) 転勤命令発令による帰国
 戦闘第402飛行隊の山田良市(元航空幕僚長)の場合。彼の所属飛行隊は愛知県の明治基地にあったが、19年11月初めに比島のマルコット基地に有川純男、中島誠也と共に進出した。その後、同月15日付けで山田良市と有川純男が松山に在る戦闘第701飛行隊(源田部隊)に発令替えがあったが、その撤退は容易では無く、漸く12月になってその機会はやってきた。しかし、この時、発令のあった有川純男は発令の無かった中島誠也と共に翌15日にそれぞれ出動し戦死した。このような状況で山田中尉は25日に撤退を開始し、松山に到達したのは翌年1月8日であった。
次の期友もおおむね同じであったろうか
大田黒義男 戦309<ペナン>   戦311(ゼロ戦)築城
岡本春蔵 381空<ジョホール>  . . 
青井完吉 戦302<パレンバン> 部隊の移動による 205空<台中>付笠原で終戦
中野嘉稔 戦401・戦301   .
西尾 漸 偵1・偵102・3航艦付(紫雲) . .
松村正二 神之池空附・戦302・戦301 . .
南部真三 953空(東港)・901空 . .
関根 幸 . 麗水
渡辺清規 721空・722空・攻1 . .
高須須一男 伊勢・武蔵・3空 学生に発令(特修科) 横空付・3航艦隊司付
鹿村和則 34空(比島進出) 転勤命令 洲ノ崎空教官   
木戸岡昌唔 951空<龍華> 中支空(上海) 一時、米子に引き揚げ

(2) 部隊の移動で帰国
三神武雄 第903航空隊の
大泊派遣隊
(本部は大湊所在)
・39期の飛行学生(艦攻専修)出身、卒業後霞空教官として42期飛学生の教育に当たり、館山航空隊に転出。戦局の推移によって北海道の美幌に、次いで樺太の大泊に移動し、同海域の対潜哨戒の任務に当つた。
・その後、敵機動部隊による2回目の北海道空襲の虞ありとの情報で、美幌基地に集結する事になり、特攻準備をして8月13日にまず飛行隊だけが美幌に進出した。その翌々の15日に終戦となった。
・現地に残った派遣隊員は13期予備学生出身の川上中尉(整備)が一兵も残さず8月24日に見事帰国させたと、三神は感動して回想する。
津曲正海    ・前線の基地から航空機の受取に内地に帰国し、原隊に戻れなくなった幸運な例である
遠山司三郎 父島空(父島基地) ・航空機の補充がつかず、部隊を撤収(脱出)
・父島空(硫黄島派遣隊)・903空(大湊派遣・美幌派遣)
・能代派遣(隊長)・大湊本部
清水文郎 航空兵器整備
(ケンダリー)
・来敵を予知し、部隊の移動で転々として帰国
・2空
・201空(戦305)⇒トラック・ペリリュウ空
・教官に発令・ダバオから台湾経由帰国

(3) 戦闘による負傷、病気による後送(航空隊の場合)
国分道明 現地で戦闘中の負傷・戦316△
<戦傷帰国入院>
谷田部空・横空特修科・横空(新機種運用実験)
市村吾郎 戦407で負傷△ 705空(紫雲)
石坂光男 戦306で重傷△ マニラ病院で広崎亮二と同室・病院船で帰国・谷田部空

(4) 終戦により一足早く部隊として、自力で、航空機等で脱出
森田 恵 元山空教官 終戦で脱出帰国

2 、帰国の機会を失い現地で抑留

(1) 艦船部隊(現地抑留)
照屋盛通 比島ダバオ蛟竜隊・小島隊の蛟竜艇長(艇が空襲で破壊され山中に入り陸戦配備)
大賀繁蔵 台湾高雄第20洋隊長(台湾で抑留)
大脇 修 在青島の「蓮」・米軍に収容されて、釜山港の磁気機雷掃海終了後、帰国
神田英夫 「蓮」と共に終戦で釜山港の磁気機雷掃海中触雷沈没(佐鎮付)・初桜・佐鎮陸戦隊
石原靖夫 在シンガポール巡洋艦「高雄」(大破)・21年8月帰国
中嶋昭夫 在シンガポール巡洋艦「妙高」(大破)

(2) 陸上部隊(現地抑留)
秋松輝吉 センバワン等31特根拠地
大山雅清 シンガポール 足柄(大破)
101警備隊勤務
田代一朗 朝鮮の釜山港湾防備隊
森谷尚幸 朝鮮の鎮海陸戦隊副官
鎮海警備府付
矢野良彦 落下傘部隊(佐世保特陸)・トラック島の4警備隊分隊長
井上 忠 トラック島の41警備隊・43警備隊分隊長
竹中豊士 45警備隊分隊長(パラオ島)
柳村寛三 南鳥島警備隊
佐藤公明 51警備隊分隊長(千島の占守島・副長)・ソ連に抑留

(3) 航空部隊(現地抑留)

小屋敷弘行 958空付(ラバウル・孤立無援の中、航空機が補充されず、持久戦で終戦
 (最高指揮官・元兵学校校長だった草鹿任一中将)
菊地幸利 戦303・戦306・210空
永仮良行 205空(台中)・ 戦902・戦602・戦308
江上純一 シンガポール・31空<スラバヤ>(現地で抑留)
田邊敏亮 29魚雷調整班隊長(ケンダリー・パレンバンに移動、現地で抑留)
松下 豊 スマトラ・32魚雷調整班隊長(スマトラ>(現地で抑留)
中野吉朗 (台湾)高雄34魚雷調整班隊長(現地で抑留)
山尾蔦樹 新竹・35魚雷調整班隊長(台湾で抑留)
芥川義美 兵器整備学生・南西方面艦隊司令付
・比島マニラ・バギオの山岳戦を生き抜(マニラで抑留)

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