海上保安庁職員(旧海軍軍人)から貸与艦の保管要員として |
27・1・21〜3・28 |
A班 24名、B班 6名(幹部要員) |
27・2・21〜4・5 |
C班 261名 |
27・4・18〜5・10 |
D班 101名 |
27・5・9〜5・31 |
E班 226名 |
27・5・31〜6・14 |
F班 178名 |
旧海軍軍人から公募(貸与艦の要員として) |
27・7・16 |
第1期幹部(士官)講習 189名 |
27・8・11〜10・15 |
第1期(下士官)講習 527名 |
27・11・20〜 |
第1期練習員(兵) 926名(舞鶴) |
貸与艦への乗組み |
27・4・2 |
海上保安庁に海上警備隊発足 総監・山崎小五郎 |
27・4・28 |
警備船くす、なら |
27・5・2 |
警備船かし 船長・大場正規 |
27・8・1 |
総理府外局に保安庁警備隊発足 |
28・1・1 |
貸与船第1回引渡し
・フリゲート艦(PF)×6隻 くす、なら、かし、もみ、すぎ、まつ」
・上陸支援艇(LSSL)×4隻 |
第1回 |
28・5・15〜6・15 |
第1船隊のみ |
横須賀→鳥羽→神戸→呉→下関→大社→舞鶴→函館(大湊)→石巻→横須賀 |
第2回 |
28・10・15〜12・4 |
|
横須賀→大湊→小樽→舞鶴→博多→佐世保→対馬→鹿児島→松山→横須賀 |
初の災害派遣 |
28・7
〜25 |
和歌山県の有田川、日高川氾濫による河口の海上救護、救援物資等の輸送に従事 |
船名 |
就役 |
除籍 |
|
船名 |
就役 |
除籍 |
かし |
28・1・14 |
46・6・30 |
さくら |
28・4・30 |
45・3・31 |
くす |
51・4・1 |
きり |
28・8・29 |
44・3・31 |
なら |
44・3・31 |
つげ |
28・9・30 |
もみ |
45・3・31 |
かえで |
41・3・31 |
まつ |
44・3・31 |
ぶな |
28・10・31 |
40・3・31 |
すぎ |
けやき |
51・3・31 |
にれ |
28・2・16 |
とち |
28・11・30 |
44・3・31 |
かや |
28・3・30 |
しい |
45・3・31 |
うめ |
28・3・31 |
まき |
28・12・23 |
44・3・ |
28・4・1 |
第1船隊編成
(司令・三上作夫) |
くす、なら、かし、もみ |
第2船隊編成
(司令・富田 清) |
すぎ、まつ |
第1船隊群編成
(群司令・吉田英三) |
旗艦うめ
第1船隊と第2船隊のPF×9隻 |
28・2・16から |
貸与艦艇の増加に伴い部隊の新編、改編が続く |
管理者佐藤清夫は、平成19年4月16日に海上自衛隊の発祥の地横須賀の田浦の第2術科学校で行われた第4期幹部候補生の入隊550周年に指導官として招待された。開会に際し祝辞を依頼されていたので、当時の幹部候補生の創設状況を調査した。
防衛庁になってから、初級幹部の養成は昭和29年に横須賀小原台に防衛大学校を創設し実施されたが。彼らが卒業する33年までの間、海上自衛隊においては次によった。 |
期別 |
期間・1ヵ年 |
学歴・人数 |
主任指導官 |
指導官付 |
第1期幹部候補生 |
28・5〜29・4 |
15名(大学卒) |
・初代(半年)
山本益雄(機)
・2代目
堀江文彦(機)
・3代目(10ヵ月)
竹添善雄(64期)
|
橋本一郎(71期) |
第2期幹部候補生 |
10ヵ月間に2クラスが修業す |
36名 |
松本兵吾(71期) |
第3期幹部候補生 |
大学卒と77・78期 |
大賀良平(71期)
中村守二(71期)
伊津野省三(71期)
竹中豊士(71期)
清水正巳(71期)
村田 駿(機74期) |
第4期幹部候補生 |
30・4〜31・4 |
104名
大学卒
海上保安大学校1期生
部内海曹出身者 |
田久保竜雄(64期) |
佐藤清夫(71期)
足立善次(72期)
西山一夫(機73期)
植田一雄(74期)
村田 駿(機74期)
池上貞男(75期)
大河義人(75期) |
第5期幹部候補生 |
, |
部内海曹出身者 |
, |
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? |
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防衛大学校
第1期生 |
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, |
教育の内容、訓育上での指導の方針として、我々が江田島で受けた教育そのままで伝授するというものであった。そして、卒業の時期、米軍(陸軍)に占領・使用されていた江田島が返還されることになり、最後の締めくくりとしての卒業式を海軍士官養成の発生の揺籃の地で、表桟橋から門出させるという方針となり、昭和31年1月に4期と5期の集団移動があった。
旧帝国海軍の発祥が東京築地の海軍操練所で、軍神広瀬中佐の生徒時代に呉郊外の僻島の江田島村に移った。その当時の生徒館が現在でも赤レンガと呼ばれ現存している。古鷹山とともに戦前、戦中、戦後の江田島生活体験者すべての心のふるさとである。
海上自衛隊の発祥が横須賀の田浦にあった旧海軍水雷学校。木造立ての旧校舎であり、そして、31年1月旧海軍の伝統発祥の原点、旧海軍兵学校跡地に移った。 |
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