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海軍士官となる為の特技、専科の習得システム 

@ 少尉候補生での初陣から少尉任官までの間に、戦死2名、殉職1名、戦病死1名を出した。
A 昭和18年6月1日海軍少尉に任官で
後期実務実習が終了、制服も短いジャケットから長い制服になる。
B この時期から、本格的な初級士官としてそれぞれの次の配置で鍛えらて、将来の専門職に進む為の
特技・専科を取得する為の各種学校にすすむが、戦時の事で平時のような習得学校の教程で行われ、航空術習得は別途の教程で行われた。

特技・専科 教育機関 課程・講習名、期別 期 間
戦艦
巡洋艦
駆逐艦
の乗員
航海術、運用術通信術 所謂シーマンシップは、戦時中のため、江田島での基礎教育に依存し、艦位測定、天測などは配属  艦において行われた。
砲 術 砲術学校<横須賀> 普通科第101期(70期との混成) 6ヵ月
水雷術 水雷学校<田浦> 水雷長講習(随時) 1〜2ヵ月
対潜術 対潜学校<久里浜>
潜水艦乗員 潜水艦術 潜水学校<大竹> 普通科課程 第9〜12各期 6ヵ月
高等科課程 短期間
甲標的講習 1特基 第1〜7期(初期の特殊潜航艇長養成)
航空搭乗員 航空術
(操縦・偵察)
霞ヶ浦練習航空隊 第39期〜42期飛行学生 1ヵ年
航空兵器整備
班長
航空兵器整備
班長術
洲ノ崎航空隊 第1、2各期<新設>
 

 
 前述した候補生としての大型艦での行儀見習いの勤務中の352名は少尉任官により一応一人前の初級士官として夫々の道に進むことになる。

 第40期の飛行学生として171名、第9期の普通科潜水学生として42名、第101期普通科砲術学生に16名が夫々転出していった。

 6月1日の少尉任官でそのまま残留した者は次のとおりであったが、彼らも戦局に応じ、順次、駆逐艦通信士<表中の氏名の次に「駆」で示す)、普通科潜水課学生(10期以降)に(「潜」印で示す)、陸上警備・陸戦隊(「陸警」印で示す)に配属替えされていく。そして士官室士官として配属されてくる期友があった。

 その状況は表中で「駆」印とある印は駆逐艦に、「潜」印は潜水艦学生に、「兵器整備」印は新設された航空兵器整備課程学生に、「陸警」印は警備隊、陸戦隊等に進み多くの期友が犠牲となったことを示す。

第3 大型艦での戦陣 (戦艦・空母・巡洋艦・各種母艦)

@戦艦戦隊
配属戦隊 艦名 6月1日での残留者(カッコ内は転勤先の配置) その後配乗した期友の状況
▲印は戦死を示す
1戦隊 大和 徳彦王<現梨本徳彦・レーダー)
森田尚幸(駆)、高橋忠男<駆)
佐藤清夫(駆)、大城 実<潜)
花田賢司(潜)、芥川義実<航空兵器整備)
・臼淵磐▲263<砲術)
・新井傳次郎▲262
 2<艦隊暗号長)
 <沖縄海上特攻>
武蔵 田結 保(筑摩で▲142)
菊地 恭(潜で▲070)、門前 宏<潜で▲071)
中村邦治(駆で▲091)
尾内敏二(陸警で▲327・アンダーマン島病院)
栗田部隊
・レイテ沖海戦前沈没
・期友の配員なし
長門 大賀 秀(潜で▲208)、佐藤公明(陸警・千島)
石原靖夫(巡洋艦高雄で△・シンガポール)
・戦後、ビキニの水爆実験で消滅
陸奥 舛見洋六、上村徳正、松尾隆司 ・舛見洋六▲006
・上村徳正▲003
・松尾隆司▲005
・黒田盛雄▲004
 <柱島艦隊泊地で爆沈>
2戦隊 伊勢 航空戦艦に改造のため配乗はなかった  
日向
 扶桑  河本通明(潜で▲073)
成瀬美夫(扶桑で▲)
照屋盛通(特潜)、浅利和夫(航空兵器整備)
・成瀬美夫▲139
・井上速雄▲138
<西村支隊・スリガオ海峡突入> 
山城 佐藤俊夫(潜で▲276)、森山 祐(潜)
三谷与司夫(特潜)
西村支隊・スリガオ海峡
3戦隊 金剛 松浦二六(呉鎮付で▼324)、竹田 穣(潜)
岩崎幹男(潜で▲038)、市川毅(駆で▲028)
上田良和(潜で▲075)、
常広栄一(潜)
田代一朗(駆)、池田 浩(駆)
・池野達郎▲178
式田文雄
 <比島沖開戦での大和残存部隊 帰国途中台湾海峡北部>
榛名 上原通男(潜)、福士愛彦(最上で△)
杉浦幸一、
黒田万左留(潜)
和田(大脇)修(駆)、波田野正七(潜で▲148)
芹野冨雄(駆)、田口康生(駆)
平 末雄
 <栗田艦隊・レイテ沖海戦>
 

A航空母艦戦隊
1航戦 瑞鶴 野村 実(兵校教官)
清木英雄(飛で▲195)
上柳 勇(駆)、向井 功(艦)
今井千秋(潜で▲047)
小山悌二(陸警▲303・自決、ヤップ島)
小沢部隊本隊・
 <エンガノ岬沖海戦で沈没>
翔鶴 鷲見千春(潜)
浅井良一(同艦で)
土師延夫(同艦で▲)
鈴木政則(駆で▲175)
神田英夫(駆・栗で△)
・池田健吉(兵器整備▲060)
・浅井良一▲058
・土師延夫▲059
 <マリアナ沖海戦>
隼鷹 若命宗雄<駆で▲201)、根本 克<潜) 小久保喜八郎▲063)
飛鷹 呉で着任、3月22日トラック進出<出雲丸の改造>
・総員が転出
・谷川洋一▲063<搭乗員)
 <作戦 から帰投後、艦沈没で も離艦せず>
・堀端徹夫△
・大山雅清△(足柄△)
 <マリアナ沖海戦で被爆沈没>

B輸送空母
商戦改造 冲鷹 鈴木文雄
<横須賀で乗艦、トラック、ラバウルへの輸送従事)
・鈴木文雄▲023
 <八丈島近海で沈没>
・新田丸改造
雲鷹 芦田 収(横浜で入渠整備中) ・八幡丸改造
大鷹 木金葆夫(矢矧・大和海上特攻で△) ・春日丸改造

C巡洋艦戦隊
4戦隊 愛宕 三浦昌尹(潜)、長沢輝夫(駆で▲088)
大賀繁蔵(震洋)、
河口哲美(司令部)
・奥西平治▲126
・栗田本隊旗艦
 <比島沖海戦進出時パラワン水 道近海>
高雄 若松三郎(駆)、水谷康弘(陸戦隊▲211)
寺部甲子男(駆)、荒井正人(艦)
・石原靖夫<△)
 <比島沖海戦で被爆落伍シンガ ポールで被爆大破>
摩耶 川瀬 勤(駆で▲090)
池田三郎(潜で▲068)
・大場健三△
 <比島沖海戦進出時パラワン水 道近海>
鳥海 二階堂春水(飛)、石田治正(潜▲225)
池野達郎(金剛で▲178)
森 和夫(戦後▼330)
・木下武雄▲140
・田辺雅孝▲141
 <比島沖海戦で>
5戦隊 妙高 服部正範(潜)、三木稠久(駆で▲)
中島昭夫(101砲術学生)
・中島昭夫
 <比島沖海戦後、シンガポール で大破>
羽黒 熊野武雄(潜で▲072)、
徳島清雄(海防艦に便乗・帰国中▲230)
松本 崇(駆)
・中島文生▲289 
<ペナン沖で英艦隊と遭遇沈没>
那智 成田金彦(飛で★258、岩淵 耕(艦)
谷山正典(駆)
・柴 正文△<マニラ湾内沈没>
6戦隊 青葉 大野勝雄(潜で▲069)、菊池貞彦(潜)
竹中豊士(陸警)、
石丸文義(駆)
 
7戦隊 熊野 石川杳平(駆で▲167)、柳村寛三(陸警・南鳥島)  
鈴谷 渡辺 譲(駆で▲137)  
筑摩 福本淳司(駆で▲196)、吉田弘俊(潜) 田結保▲142<レイテ沖海戦>
9戦隊 大井 橋本邦一(飛で▲150) 与田俊郎(△)
北上 上野立雄、西垣英夫(潜)、隅田一美(潜)  
10戦隊 阿賀野 河野千秋(駆で▲089)、亀山二郎(駆で▲032)
藤井宗正(駆で▲049)
松原正治(ラバウル湾内で被爆▲016)
松原正治 被爆▲016
 <ラバウル湾内>
16戦隊 球磨 桑村豊吉(駆で▲205)、西島和夫(潜)
川畑 努(駆で▲152)、落山義幹(潜)
中谷勝通(駆)、原田盛之(駆で▲300)
 
長良 吉田邦雄(熊野沈没△後、マニラで▲216)  
18戦隊 龍田 全員が転出 前田孝正△<八丈島近海>
21戦隊 木曾 神保正夫(潜で▲275)、清水正己(レーダー関係)   
多摩 伊津野省三(潜) 中地勘也▲<エンガノ岬島沖海行方不明>

D水雷戦隊の旗艦
1水戦 阿武隈 大賀良平(潜)、浜尾 誠(大淀で▲・子爵)  
2水戦 神通 細川奨一(同艦で▲)、川原俊行<同艦で▲)
与田俊郎(同艦で△、あと大井で△)
・細川奨一<▲010)
・川原俊行<▲009)
与田俊郎
<ソロモン海域戦闘で被弾沈没>
3水戦 名取   艦長は久保田勇の尊父
夕張 佐竹隆俊(潜で▲085)   

Eその他
4艦隊
(司令部・
トラック)
香取 田中常之(同艦で▲)
森山陽一(潜)
・田中常之▲029
 <トラック空襲時被爆後、巡洋 艦の砲撃>
鹿島 橋本一郎(駆)  
香椎 中地勘也(多摩で▲149))
篠原範平(巡洋艦)
 
聯合艦隊付属 五十鈴 橋口 勝(被爆時の単独戦死▲018・ルオット環礁内) 秋松輝吉△<スマトラ島沈没>
艤装中
<聯合艦隊旗艦予定>
大淀 友成通泰(涼月で▲027)
山垣純一郎(駆で△)
子爵・浜尾誠▲247
 <呉港内被弾>
甲標的母艦 日進 小久保喜八郎(同艦で△)
柴正 文(同艦で△)<ソロモンで沈没>
・小久保喜八郎(飛鷹▲63)
柴 正文(那智△)
潜水艦母艦 長鯨 小平清人(駆で▲190)  
4潜戦 鬼怒 小須田佐太郎(潜に)、谷 光司(駆) 谷 光司(駆)
療養中の死去
呉鎮付
佐伯雅司<山城・呉海兵団・迅鯨・呉病院入院> 19年5月死去(▼325)
若林 守<日向・呉鎮付(呉病院入院> 19年10月死去(▼326)

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