航空搭乗員に殉職者が多いのはその特殊性を如実に反映している。我々の同期生からも飛行学生時代及び部隊配属中を通じて一八名の殉職者があり、殉職の一歩手前までいった期友も多くあったと聞く。 道半ばにして職に殉じた本人はもち論、御遺族にとっても望むらくは戦場でとの痛恨限りないものがあると拝察する。 池永靖少尉は、第四十期飛行学生として一八年六月一日の少尉任官と同時に入隊した。 入隊後六か月日の一一月一三日、飛行準備のため降着訓練用標識布板を他の学生と設置中に、たまたま着陸してきた零戦に気付く暇なく、そのプロペラに触れ、右頸部を強打、その場に昏倒死亡した。 期として最初の航空殉職者で、期友一同その死に驚いた。病名は、第三、四、五頸椎骨複雑骨折、同脱臼と記録されている。未だ童顔失せやら池永 靖 は紅顔の美青年であった。 |