亀井温行大尉は、第四十二期飛行学生出身であり、クラスとしては最後の飛行学生四名のうちの一人である。二階堂春水、森田恵、田中弘などと共に二〇年二月二八日卒業し、谷田部空の零戦の教官となった。 沖縄戦線がどうにもならなくなった五月初め南九州に進出し、沖縄制空隊として鹿児島基地にあった。そして兵力分散のため串良基地にあったが、五月四日鹿児島飛行場に帰投し着陸しようとした際、誘導コースで失速墜落し殉職した。 亀井大尉は搭乗員を熱望し三十九期に入隊したと当時の辞令公報にのっているが、どのような事情か不明であるが四十二期の卒業となっている。空への望みを捨てきれず最後のチャンスを得て搭乗員となり、これからという時であり残念であったろう。 |