梅雨に入り雨や天候不良の日が多く、的確な敵情の把握は困難であったが、通信情報等により沖縄周辺における艦船の行動が活発となり、マリアナ諸島、ウルシー泊地とレイテ島間を多数の艦船が移動している状況が察知されるようになった。 五月二四日と二五日の両日にわたり、練習機「白菊」の特攻による菊水七号作戦が行なわれ、そして陸軍の空挺部隊が沖純を強襲したが、いずれも成功しなかった。 五月二七日は第四四回目の海軍記念日であり、その夜から二八日にかけて、菊水八号作戟がおりからの満月のもとに決行された。 七〇六空の陸攻四機と銀河四機、そして他飛行隊の陸攻六機、夜戦二機が二七日午後一〇時一八分から二八日午前○時三分の間に発進し攻撃に向った。 攻七〇四の福田定男大尉は、陸攻で鹿屋基地を発進し攻撃に向ったまま、消息を絶ち未帰還となってしまった。夜間のことでもあり多くの搭乗員がそうであったように、その最期は確認されていない。 五月二八日の早朝決行された陸攻の索敵によっても、敵の位置を発見することができなかったのであるが、沖縄本島における陸軍の第九次総攻撃に策応して、陸軍重爆、銀河、天山及び練習機白菊その他も午後六時四五分から発進して、沖純周辺の艦船雷撃を行なっている。 米側の資料に記録されている次の米側の被害がわが部隊の両日の攻撃の戦果であった。 二七日 特攻により駆逐艦一隻沈没、同じく一隻損傷 魚雷攻撃により駆逐艦一隻損傷 水平爆撃により掃海艇一隻損傷 二八日 特攻により駆逐艦一隻損傷 この八号作戦以降になると、梅雨型の暴風雨の日が続き戟闘も小休止の状態となった。陸上戟聞もその戦線の整理を行なって首里附近から南部地区に移動、部隊を再編成して五月は終ったのである。 |