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台湾からの沖純攻撃 
(攻撃第七〇二飛行隊) 大幸 一喜


海軍少佐 大幸 一喜の戦歴

伊勢 39期飛学生 豊橋空 七〇一空 黄硫島空(海南島) 一三空 攻七〇二
  二〇年七月三〇日戦死  二三歳九月
  私立日本中学校(東京)
父喜三郎(陸軍軍人) 母隆子
  第一九分隊の電機係 馬術係

 大幸一喜大尉は、戦局が終蔦を告げるこの時期、第一線兵力が枯渇した後を受けて、練習航空隊の実用機部門が前線に配備されたその一翼として、静出の一三空所属期友と共にマレー方面から台湾に駆けつけ、沖縄作戦に参加していた。このうち、坂本浄、寺本秀也、川西正一、小田野息二郎各大尉は既に沖縄方面に散華し、同隊には彼ただ一人となり香城していたのであるが、七月三〇日の出撃がその最後のものとなり、期友の後を追った。
 大幸大尉はこの日、僚機(一式陸攻)四機と共に午前斗1廿時新竹基地を発進、沖純小禄飛行場の爆撃に向ったが、途中沖縄南端の一八〇度六〇浬で敵威闘機の逝撃を受け、被弾自爆したらしく未帰還となった。その最期は、夜間のことでもあり確認されていない。