(戦況) 一二日の払暁、台湾の東方約八〇浬の発艦位置に達した米機動部隊は、午前六時一四分に台湾攻撃のための航空機を発艦させた。攻撃の要領は前日と同じであったが出撃機数は九七四機に減った。この来攻を迎え打った台湾所在のわが陸海軍の制圧隊は、前日の損失で充当兵力が激減し、その行動は極めて低調であった。 この日も台風の余波を受けて、作戟海面の天候は悪化していたが、T攻撃部隊が索敵機の発見した四か群の空母群に攻撃を敢行した。索敵機の後を追って、攻七〇八と攻七〇三の一式陸攻二七機及び加藤正雄、畠山信両中尉が所属した攻五〇一の銀河六機を菊地幸利中尉の率いる戦三〇三の零戦一二機が直托して、午後一時三〇分から鹿屋基地を発進した。菊地幸利の直掩隊を宮古島附近から返した攻撃隊は、この附近で薄暮の訪れを待った。 宮古島上空で旋回しながら待っていた午後四時二〇分ごろ、索敵機が母群を発見し報告してきた。これを知つた攻撃隊は、索敵配備に就いた直協隊の後を、小編隊に分散した索敵攻撃隊形をとり南下を始めた。加藤中尉は銀河四機の指揮官であり、陸攻隊ともども突入し、六時一三分直協隊の発見触按中の敵に対し、夕闇迫るころ攻撃を敢行している。 戦場附近は、前日と同じ様な半晴状態であり、大空に 卦は上下二段に雲層が垂れ込めていた。スコールの間に出没する正規、巡洋艦改造、合わせて約八隻の空母群に対し直衛艦から打ち上げる弾幕を冒して必殺の肉迫攻撃を加えた。 米資料によると、この時空母フランクリンが飛行機を収容中に、陸攻四機に奇襲されて、重巡キャンベラが沈没にひんする損害を受けている。この攻撃隊の状況も各隊指揮官の大部分が末帰還となっているので、詳しいことは分らないが、帰還機の報告による加藤隊などの最期は次のとおりであった。
加藤中尉の銀河四機(雷装三、爆装一)は、一団となって索敵中の六時四五分ごろ、友隊の照明弾に照らし出された敵部隊を発見した。 爆撃隊は、雷撃隊と別れて七時五分に照明弾下のエセック型空母を捕捉し、畠山中尉機がこれに急降下、(ヤヤ艦首気味二命中、船体折レ轟沈〉と報告したが、これは後席の偵察員の視認によるもので、操縦員の畠山中尉は避退に専念しており確認のいとまがなかったと開く。 別勤した雷撃隊については、加藤中尉も含めていずれも未帰還であったため、その詳細は不明であり、加藤中尉の最期についても激戦下しかも夜間のため確認したものはない。 ようやく帰還した機のいずれも被弾しており、敵の対空砲火の激しさを物語っていたという。
偵一一の分隊長の加来滋中尉は、この日午後二時三〇分に二式艦偵に搭乗して敵機動部隊をもとめ、小禄基地を発進したが、その後連絡を絶って行方不明となった。 単機飛行であったろうから、その最期はつまびらかでない。 |