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基地航空部隊の作戦
(攻撃第四〇六飛行隊) 田中 勉
(戦闘第四〇一飛行隊) 染谷 甲

海軍大尉 田中 勉の戦歴
 
武蔵 39期飛行学生 豊橋空 五〇二空 攻四〇五 攻四〇六
一九年一〇月二五日戦死 二二オ
 県立豊橋第二中学校(愛知)
父稔 母志な
 第五分隊の剣道係 遊泳係



海軍大尉 染谷 甲の戦歴
 
伊勢 榛名 40期飛学生 三四一空 戦四〇一
 一九年一〇月二五日戦死 二三オ
 府立第五中学校 
父甲三 母サガ
 第二六分隊の短艇係 軍歌係

 一〇月二五日の航空総攻撃に備えて、二四日未明に九〇一空の九七式飛行艇三機よりなる夜間索敵隊が出動して、敵空母五か群を発見した。
 
 この目標に対し、銀河と彩雲及び第一次攻撃隊の瑞雲が索敵攻撃に先発し、続いて午前七暗から戦爆約一○機が次々とクラーク基地を発進した。しかし、天候不良に災されて、いずれも敵目標を発見できず帰投した。この出撃で銀河の
田中勉中尉(攻四〇六)と紫電戦闘機の染谷甲中尉(戦四〇一)は、共に行方不明となってしまった。その最期はいずれも確認されていない。
 
 この日も通信連絡が極めて悪ぐ、クラークの福留二航艦司令部がサマール島沖で栗田部隊が会敵していることを知ったのは相当後のことであり、ようやく知っても、出動すべき兵力がなかった。このような情勢から遂に《神風特別攻撃》の戦法抹用の余儀なきに至り、爾後必死必殺の特攻機が連日各基地を出撃してゆくことになった。