(戦況・第五〜七次多号輸送) ルモック湾への第五次輸送が断念され、第六次も失敗してしまった後第七次の輸送が七 ヶ梯団に分れて強行された。この輸送を支援するために、一一月二二日から二四日にかけて航空総攻撃が行われたが、戟果としてはみるべきものはなかった。 二五日には攻撃目標を敵機動部隊に変更して特攻五か隊合計二五機が出撃、二六日にも続いて出動して多くの期友が突入した。 スリガ歳海峡において突入した西村支隊を悩ませた敵魚雷艇の行動が漸次カモテス海に及ぶようになり、わが船団を攻撃する企図が見えてきたので、その魚雷艇狩りが実施された。更に船団の1空直衛も強化されて第七次船団が歳ルモックに進撃していった。
11月25日、二六日、二七日と連続した特攻作戦に帖g瑚絹参加し、3名の期友名が突入、2名が直掩で行方不明となった。
二〇一空の鮎川幸男中尉は、笠置隊長として戦爆四機を率い、11月25日午後エチアゲ飛行場を発進しパラナン岬の一五○度一〇〇浬の敵機動部隊に向ったが、そのまま消息を絶った。その最期は確認されていない。
翌二六日は兵力整備のため総攻撃を延期したのであるが、撃−○−の渡部表中尉の率いる右近隊が第一〇聖武隊とともにセブ基地から出撃した。 渡部隊長は、戦爆二機を率い直掩二機の支援を受けて午前一〇時石分に飛行場を発進し、タクロバン沖で敵輸送船二隻撃沈、妄大破したと報告してきた?この日のタクロバン基地には陸軍の空挺挺身特攻隊も着陸斬込み攻撃を敢行している。 一一月二七日、レイテの敵輸送船一〇隻(後でそれは一隻の誤りと判明したが)に対して特攻五機が出動した。
一一月一五日分隊長となったばかりの戦三〇三の竹田進中尉は、この特攻隊の直掩隊長として午前七時三分マバラカット飛行場を発進していった。特攻機の護衛と彼らの戦果の確認が直掩隊の任務である。特攻二機が途中で不時着したが、隊は予定どおりレイテに進撃し突入した。直掩隊を含み全機が未帰還となったので、戦果も竹田中尉機の最期もいずれも不明である。敵の反撃が強かったのであろうし、特攻機が少なくなったので、直掩隊も任務達成後突入したのかも知れない。 この日の戦闘は、《戦艦コロラドが北緯一〇度五〇分、東径一二五度二五分において、軽巡セント・ルイスとモンペリーアも同地点において、いずれも特攻機により損傷)と記録されているように相手が主力艦であったため、対空砲火も特に激烈であったと思われる。 |