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第五〜七次多号輸送・特攻隊の作戦
特攻・(戦闘第三言飛行隊)  鮎川幸男
特攻・(戦闘第三〇四飛行隊) 渡部一郎
直掩・(戦闘第三〇三飛行隊) 竹田 進


海軍少佐 鮎川 幸男の戦歴
 
日向 利根 39期飛学生
 大分空 神之池空 戦一六一 戦三一五
 一九年一一月二五日戦死 二一歳
 県立第一鹿児島中学校 
父矢之助 母キワ
 第四〇分隊の電機係 馬術係



海軍少佐 渡部一郎の戦歴
 
山城 隼鷹 39期飛学生 厚木空二〇三空戦三〇四
一九年一一月二六日戦死 二一歳
 県立米子中学校(鳥取) 
父元 母その
 第八分隊の遊泳係 軍歌係 電機係



海軍大尉 竹田 進の戦歴
 
日向 五八二空附(在ブイン) 40期飛学生 呉空 三三二空 戦三〇三
 一九年一一月二七日戦死 二二歳
 県立高岡中学校(富山)
父(死亡) 母とみ
 第五〇分隊の図書係 馬術係

 
 (戦況・
第五〜七次多号輸送)
 
 ルモック湾への第五次輸送が断念され、第六次も失敗してしまった後第七次の輸送が七 ヶ梯団に分れて強行された。この輸送を支援するために、一一月二二日から二四日にかけて航空総攻撃が行われたが、戟果としてはみるべきものはなかった。
 
 二五日には攻撃目標を敵機動部隊に変更して特攻五か隊合計二五機が出撃、二六日にも続いて出動して多くの期友が突入した。
 
 スリガ歳海峡において突入した
西村支隊を悩ませた敵魚雷艇の行動が漸次カモテス海に及ぶようになり、わが船団を攻撃する企図が見えてきたので、その魚雷艇狩りが実施された。更に船団の1空直衛も強化されて第七次船団が歳ルモックに進撃していった。

特攻隊の作戦

 11月25日、二六日、二七日と連続した特攻作戦に帖g瑚絹参加し、3名の期友名が突入、2名が直掩で行方不明となった。
 
特攻・鮎川幸男中尉

 二〇一空の鮎川幸男中尉は、笠置隊長として戦爆四機を率い、11月25日午後エチアゲ飛行場を発進しパラナン岬の一五○度一〇〇浬の敵機動部隊に向ったが、そのまま消息を絶った。その最期は確認されていない。

特攻・ 渡部表中尉

 翌二六日は兵力整備のため総攻撃を延期したのであるが、撃−○−の渡部表中尉の率いる右近隊が第一〇聖武隊とともにセブ基地から出撃した。
 渡部隊長は、戦爆二機を率い直掩二機の支援を受けて午前一〇時石分に飛行場を発進し、タクロバン沖で敵輸送船二隻撃沈、妄大破したと報告してきた?この日のタクロバン基地には陸軍の空挺挺身特攻隊も着陸斬込み攻撃を敢行している。

 一一月二七日、レイテの敵輸送船一〇隻(後でそれは一隻の誤りと判明したが)に対して特攻五機が出動した。
 
直掩・竹田 進中尉

 一一月一五日分隊長となったばかりの戦三〇三の竹田進中尉は、この特攻隊の直掩隊長として午前七時三分マバラカット飛行場を発進していった。特攻機の護衛と彼らの戦果の確認が直掩隊の任務である。特攻二機が途中で不時着したが、隊は予定どおりレイテに進撃し突入した。直掩隊を含み全機が未帰還となったので、戦果も竹田中尉機の最期もいずれも不明である。敵の反撃が強かったのであろうし、特攻機が少なくなったので、直掩隊も任務達成後突入したのかも知れない。
 
 この日の戦闘は、《戦艦コロラドが北緯一〇度五〇分、東径一二五度二五分において、軽巡セント・ルイスとモンペリーアも同地点において、いずれも特攻機により損傷)と記録されているように相手が主力艦であったため、対空砲火も特に激烈であったと思われる。