三月三日スルアン島の南東方で発見された敵輸送船団に対し、四日ダパオ基地から六機が出撃したが戦果は不明で凍った。吾ログパオ発進の索敵機がスリガオ東方の一〇〇〜二三〇浬にレイテに向う四か群の輸送船団を発見し、セブ、ダパオ所在の全力一九機が発進して、その六隻を撃沈し三隻を撃破したと報告してきた。 六日セブから特攻隊がレイテ湾内に向ったが敵の妨害に会い一機だけが突入したに過ぎなかった。攻四〇五の江尻憤大尉は、この日午前一〇時二〇分ダパオ南方のデゴス基地を電装で発進して前記の船団の攻撃に向った。 そして敵発見の電報を打った後消息を絶った。他の資料によると敵の海上交通路の索敵だけであったともいうが、この隊の「戦闘詳報」が残っておらず当時の模様を知る人に会わないので、その間の相違については明らか誠でない。江尻大尉が故郷への最後の手紙には 《かすり傷一つ負わず》 と書き送っているのを見ると、彼は最後まで元気で奮戦していたことが明らかである。 在ダパオ地区の搭乗員たちは全員最後まで敢闘し戦友の最期を伝える人も残らなかったほどであったのであろう。彼が生徒時代から家郷へ送った手紙が多数あり、それをもとに青春を比島に捧げるまでの状況が、『蒼空の遺書』と題して出版さたた。 |