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レイテ増援作戦・台湾からのT攻撃

攻撃第五〇一飛行隊 畠山 信


海軍少佐畠山信の戦歴

 伊勢 陸奥 
39期飛学生 豊橋空 五〇二空 七六二空 攻五〇一
  一九年一一月一八日戦死 二二オ一月
 県立高松中学校 父耕一郎(海軍軍人・戦死)母線子
 弟四六分隊の遊泳係 体操体技係

  (戦況)
 11月19日のルソン各地はこの日も敵大編隊の来襲を受け、損傷修理のため内地に回航中の熊野(吉田邦雄乗組み)がマンシロック沖で銃爆撃を受け、サンタクルースに避泊していた。
 
 前日行なわれた西田中尉等の索敵によっても発見されなかった敵機動部隊はマニラの北東約二〇〇浬附近にあり、空母三〜四隻を基幹としていた。この目標に対し
T攻撃部隊残存隊の一式陸攻六機、銀河五機、陸軍の四式重爆四機がこの日の午後三時に台南基地を発進し、薄暮時から夜間にかけての攻撃に向い、攻五〇一の畠山信中尉が参加した

 わが攻撃部隊の攻撃を受けたのはモントゴメリー少将の空母隊、ホーガン少将隊及びデーヴィツト少将隊のうちのどれか一か隊であった。畠山信中尉の銀河も午後六時頃に敵を発見して勇猛果敢な攻撃を行なった。それはルソン各地を攻撃して帰って来た最後の攻撃隊が母艦に着艦し始めた時であり、その虚をついたわが攻撃隊は四〜五機のグループに分れて合計一一回の反復攻撃を敢行した。未帰還一〇機を出したが、当時報告されたような戦果を米資料は伝えていない。

 台湾沖航空戦以来活躍し続けていた畠山中尉も遂に帰らぬ人となった。戦死後二階級特進している。