一二月二吾、クラーク地区には終日六回次に分れて延二〇〇機が飛来し、地1にあったわが軍の五機が被弾炎上した。 最終回の来襲時に戦三〇八の大渕浩大尉の率いる零戦四〇機がアンヘンス基地を飛び立って遊撃に当った。この時、来襲のP粥と交戦し壮烈な空戦を展開中の大渕機が火を吹いて墜落していくのを彼の部↑が確認して、戦後御遺族に通知している。 大渕中尉の撃一〇八には飛行学生同期の松井康と四十期の中島浩二の両中尉がいた。彼等は、笠ノ原基地から一緒に進出しこの此島の空で相前後して散華した。旧海軍の辞令公報を見ると彼はー二月五日附で撃一一六の分隊長に発令されている。そして八女中学校時代の同級生木下芳夫大尉が彼の亡き後の三月三日附で谷田部空から補充発令されているが、木↑大尉は、此島までは進出できなかったのではないかと考えられる。彼は二〇年一月三日台湾方面で戦死した。 |