(戦況) 一一月一一日正午にサンベルナルジノ海峡の沖合で発見された敵輸送船団三〇隻に対し、所在航空部隊はその全力を挙げて攻撃することになった。不足する航空兵力を補充するため、台湾で待機中のT攻撃部隊(畠山信中尉所属)にこの日クラーク進出が命ぜられている。 攻一〇三の高田栄吉中尉は、この日撃星型偵察機に搭乗、単機で発進し、マニラの一〇五度四〇〇浬、右折三〇浬〉の索敵任務に従事し、カタンガネス東方を飛んでいた午後二時ごろ敵を発見したと報告してきた。 この報告された敵に対して、午後三時から艦爆及び戦爆特攻が出撃していったが、敵を発見した高田機はその後消息を絶ってしまった。敵戦闘機に捕捉されたのであろうか、前席の操縦員木野功上飛曹と共に帰らなかった。高田中尉は、前日の二九日に特攻突入した藤本中尉などと共に北海道地区から九州、沖縄、台湾を経て進出してきた連戦の搭乗員であった。 同じ日戦七〇一の大平高中尉もタクロバン飛行場の攻撃に向い、同基地を攻撃中に地上砲火で被弾し未帰還となった。その最期についての詳しい資料は手元にもまた御遺族にもない。 大平中尉は、神之池空から米村泰典と共に一九年八月二三日附で戦七〇一に着任したが戦701に転任となったので、比島へのその米村がその後横空に転任になったので、比島への進出はただ一人であったらしい。山田良市、有川純男、竹林正治の三期友が隊附になったのは彼の戦死した四日後の一五日と旧海軍の辞令公報は語っている。 |