(戦況) 第二次多号船団部隊がオルモック湾に進入する前々日から航空制圧が行なわれ、進入日の一一月一日には約八〇機.からなる制庄隊と特攻隊が午前五時半から七時にかけてクラーク及びニコルスを発進してレイテに向った。 この特攻に参加した攻一〇二の土屋和夫中尉が二九日突入した団野、藤本雨期友と共に連戦してきたことは既に述べてきた。この日土屋中尉は、天兵隊長として九九式艦爆三機を率い、前席江口源七一飛曹の操縦で午前七時第一ニコルス飛行場を発進した。目標はレイテ湾内の在泊敵艦船で、タクロバンの一五〇度五〇浬を航行中の戦艦三隻、巡洋艦三隻、輸送船二隻、駆逐艦五隻を発見し、この敵に特攻をかけた。敵の針路・一一〇度、速力・一一ノットであったと報告している。突入状況を確認した僚機の帰還報告によると〈土屋隊長機か又は二番機のいずれかが、九時三〇分に敵の巡艦又は戦艦の一隻に突入して大爆発が起り、その目標は沈没した〉との記録がこの部隊の「戦闘詳報」に述べられている。 米資料によるとこの日敵側は−−(駆逐艦アブナ・リード号がレイテ湾にて特攻により沈没し、他の駆逐艦二隻が特攻、同じく二隻が水平爆撃でいずれも損傷)との記録があり、これがこの日の特攻隊の挙げた戟果とい、つことになう。 二日にはミンダナオ東方海域に行動する増援部隊を索敵するため攻四〇五の赤座励中尉がダパオ基地を発進して、午前一一時以後消息を絶ってしまった。敵機の行動海域であるから奇襲されたのであろう。同じ飛行隊の古茂田実、小熊善治郎の南中尉と共にこの比島に進出連戦しており、この雨期友もこの三日後に出撃、赤座中尉の後を追っていった。 |