一二月一四日清木大尉などの索敵隊が出動中であったが、敵機動部隊の位置不明なまま、午前七時三〇分、特攻二か隊が制空機四一機に守られクラークを発進した。 戦七〇一の有川純男大尉は、この零戦直掩隊長としてマルコット飛行場から出発した。攻撃隊が発進し進撃中にマニラ地区に来襲した敵艦載機の一部とバタンガス上空で遭遇したので、攻撃隊を分離させて制空隊が壮烈な空中戦を展開した。この戟闘で有川機は被弾自爆した。 小野田陸軍少尉が戦後三〇年近くも隠れていたことで有名になったルパング島の東方上空である。攻撃に向ったこの特攻隊は予想地点に敵を発見することができなかった。 一二月一五日の未明、ミンドロ島のサンホセとマンガリンの中間に敵が上陸を始めたとの索敵機の報告により第九金剛隊の彗星一機、爆装零戦一四機が直掩戟闘機一二機の護衛で午前六時マバラカット、クラーク各基地を発進した。特攻隊の指揮官が二〇一空の青木進大尉、その直掩隊の隊長が戦四〇二の中島誠也大尉という期友コンビであった。 進撃の途上、ミンドロ島北岸のガラパン南西でグラマン一四機に遭遇し、制空隊がまず敵一機を血祭りに挙げた。進撃を続ける攻撃隊は、マンガリン附近に敵上陸部隊を捕捉して青木隊長機を先頭に八時三〇分から九暗までに一一機が突入した。 最初に一機の雷撃機が低空で肉迫していったが、魚雷投下前に撃墜された。特攻二機が護衛空母マーカス・アイルランドに向かったが、飛行甲板をわずかにそれて二機とも海中に落ちた。一機は余りにも近いので異端が見張台をかすめたほどであった。他の二機はそれぞれ戦艦ウエストヴァージニアとニューメキシコに向ったが、二機とも至近弾に終った。結局九機が撃墜され、四機が海中に突入した。 敵のVT信管による弾幕は厚く必死必殺のこの特攻隊も今一歩というところで敵に致命傷を与え得ずして全機散華してしまったのである。六三四空の宮本平治郎大尉が敵上陸を最初に発見した、と司令の見認証書にある。 この特攻状況を確認して帰途に就いた直掩隊がマルコット飛行場に着陸しょうとした直前、敵グラマン戟闘機の攻撃を受けた。中島隊長は被弾機上戦死したらしく、愛機紫電が飛行場に墜落炎上した。帰還したのは四機に過ぎなかった。 中島大尉のこの最期は、二〇年一一月帰還した基地司令から御遺族が遺骨を受けとった際に明らかになったことである。 青木隊に続いて、同じ飛行隊の辻誠夫大尉の率いる第一一金剛隊の戦爆一二機と彗星一機が翌一六日マバラカット基地を発進して、サンホセ附近に向ったが予想地点で敵を発見できなかったので、午前八時四〇分、セミララ島附近に発見した敵船団に突入した。突入前に制空隊六機は隊から分離してしまったので、辻隊の仝機突入の戦果は確認されることがなかった。 |