パラワン島プエルトプリンセサには、第三南遣艦隊・磨下の九五五空(水上偵察機隊)が駐在し対港晴戒、索敵に当っていた。この航空隊には分隊長として岩場貞雄大尉が搭乗員配置で配属されていた。先に栗田部隊がブルネーを出撃しこの西方パラワン海峡で米潜に大打撃を受けた時には、詳細な記録は残っていないが、おそらくこの部隊が出撃部隊の対潜直衛に当っていたことであろうか。 ラ市街戦が終焉を告げようとしていた時期の二月二八日未明、約一万と推定される米軍が大挙上陸してきた。 在島の守備隊は、陸軍のほか九五五空が特別編成した陸戟隊約二七〇名等を含んでも五首名足らずであった。 この航空隊は、司令が鈴木清大尉で、戦局の緊迫化により輸送機で転進する予定であったが、輸送機が故障で来島できずに撤収が遅れるという不運にあったのである。 来攻の敵を迎えて司令以下総員が爆弾を抱いて敵の戦車に斬込み体当りを敢行し、二月二九日から三月一日にかけて仝月が壮烈な戦死を遂げた。 終戦で収容された比島各部隊の生存状況を記録してある資料の中に、(九五五空、収容上.バリ バナイ島人員ナシ〉の記事がこの航空隊の最期を厳粛に伝えている。 |