一九年一一月以降の南西、濠北方面の所在航空兵力は極めて微力となったが、これらの航空部隊がタラカン、ペナン、シンガポールで敵来襲機を遊撃し、若干の戦果を挙げている。 一一空には四十期の飛行学生を卒業した白石正義、青井完吉、江上純一の三期友が一九年六月未に着任し、シンガポールのジョホール・パットバハ飛行場で練習生の養成と同地区の防空に当っていた。その後、青井完吉は戦九〇二(月光夜戦)に転出、更に内地に転任になった。 二〇年二月一日来襲したB29九三機を遊撃のため零戦で基地を飛び立っていった白石大尉は深追いしたのであったろうか、消息を絶ってしまった。バロー北方一〇浬附近のジャングル上空で被弾自爆したらしく、江上純一(三一空)などの捜索も空しく機体も人月も発見されなかった。 白石大尉は候補生時代、小松字太郎等とソロモンのバラレ島のジャングルで勤務したが、彼の最期はまたジャングルの中であった。 |