(戦況) 三月二〇日までの攻撃で、かなりの戦果を挙げたと判した五航艦司令部は、この時まで使用の機会を待っていた「桜花」搭載の神雷特別攻撃隊をニ一日出撃させることに決した。 初出動の指揮官は、野中五郎少佐であり、出動機数は一八機であった。この桜花については第三編で概要を述べ、配属の期友についても述べた。桜花隊員として三名の期友が訓練に励んでおり、 この日の出番は三橋謙太郎大尉であった。一八日の来襲には湯野川守正隊の出番でぁったが、宇佐空で出撃準備中敵戦闘機に奇襲され愛機が全滅したので機会を失ったという。 桜花第二分隊長 三橋謙太郎 同上第三分隊長 湯野川守正 同上第四分隊長 林富士夫 胴体の下に桜花一基を抱いて出撃していった低速のこの叫式陸攻は米機動部隊の前程六〇浬附近で敵グラマン五〇機に捕捉され、味方掩護戦願機の不足もあって、桜花発進前にことごとく撃墜されるという悲運に遭った。 「神風特攻隊」猪口、中島共著)と「桜花特別攻撃隊」木俣滋郎著)による攻撃状況は次のとおりである。陣太鼓が鳴り響いた。搭乗員がかけ足で集まってくる。指揮所の前に仁王立ちになっている野中五郎少佐に近寄ってきた桜花の先任搭乗員井口大尉が、隊長ご成功を祈ります)と心をこめて言った。今日は盟友三橋謙太郎大尉が出撃の番に当っていて、彼は非番だった。野中少佐は、微笑しながら?ん)とうなづいたっそして、〈湊川だよ)と低い声でいった。出発の命が下った。 搭乗員達は、それぞれの愛機へと散っていった。三橋大尉と井口大尉は、お互いに肩を抱きあって、(しっかりやってこい〉、〈大丈夫後を頼んだぞ〉。指揮所の前に立ってこれを見送っている字垣長官のまぶたには涙の露がこぼれおちそうになっていた。 午前一一時三五分、桜花を腹に抱いた一式陸攻は野中機を先頭に次々と離陸していった。 この日の出撃一式陸攻の機長一八名のうち二名は期友の佐久間洋幸、西原雅四郎両大尉であり、そして掩護戦闘機の中隊長伊沢勇一大尉が桜花に万一のことがあってはいけないと、掩護法について真剣に研究してその直掩に当っていた(林富士夫回想)。 掩護戦闘機が報告をもって帰った。それによると野中機は、午後二時頃、敵艦隊との推定距離五、六〇浬の地点で敵グラマン約五〇機の遊撃に会い、一式陸攻は敵に喰い下られてしまったというのである。桜花をおとして(桜花搭乗員はまだ母機から乗り移っていない)身軽となった一式陸攻は、一糸乱れず編隊のまま応戦したが、一五機が次々と撃墜され、野中隊長は残る三機を率いて断雲の中に急降下で突っ込んでいったという。 しかしこれもまたそのまま消息を絶ったというのである。勝敗は戦う人にとって定めがたい運命とはいえ、体当り攻撃を志願して以来、営々と半年以上にわたり訓練に訓練を重ねたあげく敵を目前にして全滅の悲運にあった搭乗員の無念さは察するにあまりあるものがある。 この桜花特攻では参加期友の全員が戦死してしまった。そしてこれを初出動として次々に敢行され、四月一四日には第四神雷特別攻撃隊の隊長として沢柳彦士大尉も発進したが末帰還となってしまった。全軍のひとしく期待したこの特攻作戟もいずれも所望の戦果を挙げることができなかった。
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