敵機動部隊は、一九日北上して呉、阪神地区を攻撃してきた。呉軍港にはなお多くの残存艦船が在泊し、フィリピン沖海戦以後被った損傷の修理に当っていた。 この機動部隊をもとめて、各飛行隊から多くの特攻がかけられ、また松山基地の紫電戦闘機隊も飛来した敵艦載機群を迎え撃った。この日午後からは雨となり、夜間の索敵ができなかったと記録されている。 七〇一空の撃星艦爆二三機が午前七時ごろから逐次発進し、星間の単独奇襲波状攻撃による特攻作戦を決行した。突入したものは約半数の一四機で敵空母に命中したもの二機、半数が低空爆撃を敢行したが帰投できなかった。 中村恒夫大尉は、この特攻隊の攻一〇五の先任機長であり、五時四〇分国分基地を発進し、九州南東海面で敵部隊を捕捉、午後一時三分に突入した。 彩雲六機の誘導によって、攻四〇六の金指勲大尉の参加する菊水銀河隊の銀河四機、陸軍の重爆一三機、天山艦攻六機が同じ頃出水基地を発進して、足摺岬南方六〇浬で敵空母群を捕捉し特攻攻撃を敢行した。金指勲大尉は、銀河の後席に偵察月鎌倉基茂少尉を乗せての突入であった。 中村大尉は、一か月前本邦東方に敵をもとめて未帰還となった期友田中孝と同じ飛行隊であり、以後奮戦していた。金指大尉も比島作戦のタクロバン基地爆撃に参加した勇士であり、同じ飛行隊にあった期友古茂田実、赤座励とともに戦った当時の戦闘状況を内地に帰ってから期友に話していたという。 |