夜来の雨もあがった二〇日、わが軍は鹿屋から発進し南下中の敵機動部隊に迫撃を加えたが、わが戦力もようやく枯渇に近く、作戟は思うに任せなかった。 この日午後五時四〇分、串良基地を発進して敵の攻撃に向った攻二五一の志賀素良大尉は午後七時ごろ基地上空に帰着したが、敵夜戦を警戒しながら旋回中に二番機と空中接触して墜落戦死した。彼が参加した攻撃状況について詳しいことは不明である。 志賀大尉は、過ぐるマリアナ沖海戟に空母千代田から攻撃隊に初陣し、多くの期友や戦友が散華した中にあって、武運強く生き残り、その後もこの飛行隊でフィリピン沖海戦にも参加し活躍していた。幾度も幾度も砲火をくぐり抜けてきたこの勇士の最期が味方機との接触によるものであったとは、運命の皮肉というにも余りにも痛ましく、哀惜の念ひとしお強いものがある。 筆者(佐藤清夫)が彼の故郷の武田神社に参拝した時、絵馬堂に志賀素良君の遺影が奉納されているのを発見し、往時を偲び同行の者に彼の武勲を物語っ |