一〇日の南西諸島は天候不良で、出撃した索敵機も敵情を得ることができなかった。 戦八一二の田中栄一大尉は、それまでも彗星型の夜間戦闘機で連続出動していたが、この日は午前一時四一分頃に僚機二機と共に岩川基地を発進し、沖縄伊江島飛行場の夜間攻撃に向った。午前三時四四分に《我レ突入ス〉の電を最後に消息を絶った。 この日の全出撃機は、聾星型、零戦型の夜戦合計一四機であり、伊江島攻撃のほかに奄美附近の制圧、九州南東の索敵攻撃が行なわれた。戦果は米資料に駆逐艦一隻沈没となっている。 友軍の偵察機が発見した目標に対し一三空の小田野忠二郎大尉の率いる陸攻四機が一八日午後二〇時三〇分に高雄基地を発進して夜間攻撃に向った。この作戦を「楠」作戦と呼び残存機を挙げて実施された。 小田野部隊は、予期地点に到達したが目標を捕捉することができなかったので攻撃目標を変えて慶良問泊地の敵艦船を雷撃した。隊長機が一九日午前一時二四分〈我レ自爆ス〉を発した後に消息を絶ち、隊長機だけが帰らなかった。この日は隊長小田野忠二郎大尉の二三オの誕生日に当っていた。 米側の記録では、この日、魚雷攻撃で駆逐艦一隻が沈没となっており、小田野大尉の戦果であったろうか。このほか攻撃にあわてた米艦どおしの「衝突」があったとも記録されている。 |