四月三日になって、戦艦大和その他残存艦艇の総力を挙げて行なう水上特攻及び菊水一号作戦の基本的作戦要領が示され、これを支援するための航空攻撃が多くの特攻機により実施されることになった。 三日九州方面から発進した彩雲、百式司偵の偵察によって、午前一〇時少し前那覇の南四〇浬に空母五隻、奄美大島の南八〇浬に空母を含む一群をそれぞれ確認した。 この敵に対し零戦三六機と紫電八機が奄美大島附近を制圧のうえ、戦爆二六機、彗星二〇機合計四六機の特攻をかけることになった。 寺岡達二大尉は、第三御楯隊第六〇一部隊の第七攻撃隊員として僚機とともに午後三時頃基地を発進、同じ時刻に発進した制空隊の清水真大尉に守られ喜界島上空に到着した。この隊の僚機が不調で発進できなかったので、寺岡機は単機で突入した。 期友の突入を見送った制空隊の清水大尉は喜界上空に来攻した敵の戦闘機群連合約三〇機以上と空戦に入った。味方は、零戦、紫電合せ四四機であり、撃墜二機、撃破五〜七機という協同戦果を挙げたが、清水大尉機など未帰還零戦八機、紫電二機を出した。この日の特攻隊はその大半が突入しており、護られる期友、護る期友もともに散ってしまったのである。 石垣島南方の敵空母に対してこの日台湾にあった特攻隊が発進し、攻一〇二の時山武大尉が忠誠隊長として僚機撃星四機を率い特攻を敢行、隊長機は午後五時一〇分空母に突入した。僚機は突入の機会を失ったが、六日の菊水一号作戦で全機突入してこの隊長の後を追った。この日はたまたま時山大尉の誕生日であり、比島にあった時以来連戦して来た彼は満二十三才を迎えたその日沖縄の空に散った。 |