(戦況) 宇野篤大尉は、第一神風特別攻撃隊の菊水隊銀河隊員として、一八日午前四時四〇分鹿屋基地を発進し、銀河一五〇機の大集団で九州南東の敵機動部隊に昼間特攻を敢行した。宇野隊は隊長機と僚機一機が還らなかった。 このように各地の基地から攻撃隊が出撃していった南九州に対し、午前五時四〇分、夜戦一機が飛来したのを皮切りに、八時までにグラマン延一五〇機、一〇時までに二〇〇機、一一時までに四九機、午後四時四五分までに二〇〇機が来襲している。 戦三〇五の永友知義大尉は二〇三空司令の指揮下で鹿屋地区の防空に任じており、この日は戦三〇三と協同で来襲機を邀撃した。鹿屋基地を午前六時二五分に発進した二五機が二か群に分れて哨戒中、各群とも一五、六機のグラマンと空戦に入り三機を撃墜したが、わが被害も七機に達した。 午後には出水基地から一一機が発進、指宿、都城、岩川の上空で敵の一〇〜四〇機と空戦し二機 を撃墜し、鹿屋、笠ノ原地区で撃墜三機、撃破三機の戦果を挙げたが、わが被害も大きくて自爆七機、未帰還四機を出し、一一機が被弾したほか地上炎上多数を出している。 永友大尉がこの日のどこでどの戦闘に参加したか知る詳細な資料はないが、故郷宮崎近くの上空における激闘で散華した。彼は一月三一日附で海軍大臣の結婚認許を得ており、わずか二か月の新婚生活であった。 |