(戦況) 米軍がギルバート諸島に釆攻したこの時、この方面には九隻のわが潜水艦が配備されていたが、敵機動部隊に捕捉され六隻が行方不明となった。ギルバート諸島ではイ号19潜と39潜の二隻、マキン島西方海面でイ号39潜、タラワ島附近でイ号21潜と平尾淑入来艦のロ号38潜が一一月一九日以降消息を絶った。作戟終了で帰投した三隻の潜水艦はいずれも相当な損害を受け修理を必要とする状況であり、その戦訓で従来の用法を反省し作戟方針の転換を迫られるようになった。 一月中旬以降、ロ号44漕がエスビリサント方面、ロ号39漕がギルバート方面、イ号潤滑がマーシャル東方に向け出動したが、ケゼリンに釆攻した米軍を遊撃したロ号39潜、イ号m潜(鈴木好和未着任)は帰還しなかった。
一一月一九日以来連絡を絶ち、一二月四日の点呼にも応答がなかった。タラワ島附近の哨戒任務を与えられた同艦は、敵をもとめて作戟中撃沈されたのであろうが、確認する手段はない。一九年一月二日をもって艦長野村俊治少佐以下全員が戟死と認定され公報された。 一八年一二月初めから新しい方針のもとで作戦を行なっていたが、前述のとおり南東方面の輸送に従事する潜水艦もあってこの新作戟に従事したのは極めて少数であった。一二月から翌年の一月まではロ号36潜、イ号42潜、ロ号37潜(河野幸生と寺西是則)、イ号11潜(阿部守)の四隻が出動して、その内期友の乗る二隻だけが帰還しなかったのである。
攻撃後直衛艦ビューカナン号のレーダーに探知され照射砲撃されたので急速潜航したが、ソナーに捕捉され、二三日早朝爆雷攻撃で撃沈された。その位置は、南緯一一度四七分、東経一六四度一七分である。
《二月一七日〇六三〇マロエラツプの北東二〇〇浬附近で駆逐艦ニコラス号に撃沈された》 と記述されている。 他の資料には、 《一九年一月一一日フナフチ飛行偵察を取止めサモア方面に移動消息不明》 とある。 このようにこの艦の最期は、位置についても期日においても大きな違いがある。艦長は伊豆寿市中佐であった。
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