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所在海軍部隊の戦闘
 
 ロ106潜に赴任予定待機中の浜本平治 
 


在島
中の甲標的員 深佐安三 ・ 後藤恭祐


海軍大尉 浜本平治の戦歴
 
長門 津軽 9期潜学生 イ13潜 イ177潜 ロ106潜(未着任)
一九年七月五日戦死(公報八日)二二オ
 県立萩中学校(山口)
父友槌 母タケ
 第一〇分隊の校庭係



海軍大尉 深佐安三

 扶桑 大淀 9期潜学生 一特基附(トラック基地進出予定)
一九年七月五日戦死(公報八日)二二才
 県立大畠中学校(奄美)
父万吉書 母バア
 第三三分隊の伍長 図書係



海軍大尉 後藤恭祐

 日向 常盤 9期潜学生 一特基附(トラック進出予定)
一九年七月五日戦死(公報八日)ニーオ
 県立新発田中学校(新潟)
父龍雄 母艶子
 第四五分隊の短艇係


  (戦況)
 
 サイパン島の守備は、陸軍部隊が其の主力であった。この時期、この島にあった海軍部隊としては、南雲中将の中部太平洋艦隊司令部のほかに、この島の海軍施設の守備を担当する第五根拠地隊があり、またたまたま潜水艦作戟を指揮するためこの島に進出していた第六艦隊司令部(司令長官高木武雄中将)が所在し、その指揮下の潜水艦と在島附属部隊を指揮していた。

 第五根拠地隊の主力は、第五五警帰隊と横須賀鎮守府第一特別陸戦隊(落傘部隊)等であり、その他、多くの附属部隊施設があった。この部隊に配属されていた期友は次のとおりである。
  
 第五五警備隊  平田茂夫中尉
 横一特別陸戦隊 斎藤実、西山亮次、柳生喜代治、和久利芳夫の各中尉
 
 このほか、潜水艦部隊関係者として附属隊の甲標的艇長深佐安三、後藤恭祐の各中尉があり、ロ号108潜に転任発令された浜本平治中尉がたまたま同島に到着したばかりであった。

浜本平治中尉
 浜本平治中尉は、第九期の普通科潜水学生を終了してイ13潜に乗艦したが、一九年初頭にイ177潜に転勤となり、同艦でアリューシャン方面の作戦に従事していたが、五月一六日附でロ号106潜乗組に発令された。大湊に入港後、とりあえず横浜航空隊に赴きここでサイパン向けの内南洋方面定期飛行艇便サイパンに到着したものと推定する。サイパンに到着した彼はその赴任先たるロ号106潜が五月二二日以降連絡を断ち行方不明であることを知ったであろうし、たまたま作戦指導のため七日呉から進出して釆た六艦隊司令部に出頭し、海軍省人事部に今後の事を問い合せてもらっている間、同司令部に身を寄せていたであろう。

深佐安三と後藤恭祐両中尉
 深佐安三と後藤恭祐両中尉は、トラック進出予定の特殊潜航艇「甲標的隊」の各艇長であり、他の三隻の艇と共に一九年四月ごろ内地から輸送船に曳航されて南下航行中に、サイパン島附近で敵潜の攻撃を受け母船が沈没し、同時に三隻の甲標的が海没してしまった。そして残りの二隻の艇と共にサイパン島に到着し、この地を基地とすることに変更された。
 
 六月一五日敵の来敵を迎えるに当り、七日この地に進出してきた六艦隊司令長官高木中将の指揮下に入り、特別陸戦隊を臨時編成して陸戦に移行することになる。
 彼らの最期は、高木中将が五日に発信した《第六艦隊全員及び標的員を率い、敵陣に突入す。万歳》の訣別電に明らかであるように、五日夜突入戦死したものと推定される。その地はガラパン又はその北方であろう。前出の浜本平治中尉も彼らと行動を共にしたものと考える。特殊潜航艇乗りが畑違いの陸戦で最期を遂げるに至ったことは、まことに不本意でありさぞ残念であったことと察する。

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