(戦況) 門前宏中尉の乗艦イ号185潜(艦長荒井淳少佐)は、佐世保での修理を終えて呉に回航、六月一〇日同港を出撃しニユーギニアのウエワク輸送に従事していたが、戦局の急変により、艦長の判断でウエワク行を中止し、マリアナ決戦海面に向ったことは既に述べた。 門前中尉の父君は、海軍少将でこの時期第三護衛船団司令官であり、六月六日横浜発サイパン向けの船団の指揮官として駆逐艦松風に将旗を掲げ列島線を南下していた。九日船団が小笠原附近を航行中、敵潜の雷撃を受けた旗艦は沈没し、父少将は艦と運命を共にした。このことを息子は知っていたであろうか・。イ号185潜は、九日はまだ呉におったので、あるいは遭難の電報を見ていたかもしれないと想像する。 、 父の戟死を知ってか知らずか出撃した息子の潜水艦は、二二日サイパンの北西方約四〇浬、北緯三度五〇分、東経一四五度八分に進出したところを、哨戒中の米駆逐艦ニューコブ号と掃海駆逐艦チャンドラ号に発見攻撃されて撃沈され。 父は駆逐艦で米潜水艦に、息子は潜水艦で米駆逐艦に、その間いくばくもなく共に撃沈されるという悲運に遭遇した。 |