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潜水艦部隊の作戦 ・ 第三四潜水隊比島東方に出動
(イ号第177潜水艦)  清宮恵彦


海軍大尉 清宮恵彦の戦歴

 武蔵 三一駆隊附 10期潜学生 イ177清
 一九年九月二六日戟死(公報一月一日) 二二オ
 府立第六中学校 
父源六 母フサ
 第二三分隊の被服月渡品係


 ルソン島東方海域を行動中の敵機動部隊をもとめて、第三四潜水隊の五隻の潜水艦が九月一九日までに順次豊後水道を出撃南下し、それぞれの定められた哺区に向った。それらの潜水艦は、ロ号43潜、46潜、47潜及び41潜(細見弘明)の小型潜水艦並びに清宮恵彦中尉の乗艦するイ号177潜であった。

 司令部は、二四日になって、新しい敵情から、敵機動部隊の攻撃は困難であると判断してロ号41潜をモロタイ島附近に、他の四隻をパラオ周辺に配備変えをした。配備変更を命ぜられた潜水艦からは、一〇月三日になっても何らの戦果報告もなく、心配した司令部は四日各艦に呉帰投を命じた。

 帰投命令を受けた各艦は、逐次哺区を撤して帰途に就いたが、イ号177潜とロ号46潜の二隻に対してウルシー泊地偵察が命ぜられた。この時期、ウルシー泊地は、敵の大根拠地となっており、その後の比島攻略及び沖縄攻略に参加した海軍艦艇はほとんどすべてがこの泊地から出撃していったのである。

 ロ号16潜からはウルシー泊地偵察の旨報告があったが、イ号177潜(艦長渡辺正樹大尉)からは何らの連絡もなく、同艦はパラオ附近で撃沈されたと認められ記録に残っている。しかし戦後米資料と照合の結果完月二六日、パラオ島北東方、北緯九度一九分、東経三六度四四分において、米駆逐艦サミエル・S・マイルス号によりロ号46潜ともども撃沈されていた》ことが明らかとなった。
 
 清宮中尉は、浜本中尉(サイパン島で玉砕)の後任として同艦に乗艦し、以後各地で活躍してきた。この第三四潜水隊の挙げた戦果としては、ロ号41潜(細見弘明)がモロタイ附近で空母二隻を撃沈、一隻大破(戦後米資料によると魚雷が命中したのは駆逐撃隻で、曳航されている時転覆沈没)したほか、ペリリユー守備隊の確認した≡日にべリリユー島西方で駆逐艦二隻、五日同島南方で輸送船一隻の沈没〉であった。ペリリユー附近の戦果はこれら未帰還艦の挙げた戦果であろうが確認はできない。