米軍の新しい作戟発動の算が大きいと判断されるに至ったので、「天」航空部隊は二三日に沖縄周辺艦船の夜間攻撃を予定していたが、天候不良のため、二四日に延期したところ、その日の早朝四国、中国、九州の各地が敵艦載機の大集団の先制攻撃を受けた。 この機動部隊「は、室戸岬南方を行動中と判断され、二四日昼夜間索敵し、二五日夜間攻撃を行なったが、成果は挙がらず、また二五日には中国、山陰、北九州が攻撃を受け、27日には浜松も大空襲を受けた。翌二八日には中国、四国各地が攻撃され、特に呉在泊の艦船が再び大きな被害を受り、 伊熊隆平大尉は、蛟竜隊の特攻隊長であり、7月2日付で父島根拠地隊から小豆島突撃隊(嵐部隊)に転勤となり、 落山義幹と共に内海東部小豆島草壁の基地で実戦配備に就き、基地の設営と隊員の特訓に当っていた。二二日は坂手沖(小豆島)の芙蓉丸船上で訓練を指揮していた。 この日呉での会議に出席するはずであったがそれを落山義幹に代ってもらったと聞く。敵機の来襲、対空戟間中の午後一時頃に下腹部に機銃弾を受けて戦死した。 |