敵反攻のルートに挙げられたギルバート諸島に対する米海軍と海兵師団の攻略作戦は、11 月19日の機動部隊の空襲で開始されて、マキン、タラワ両島の守備隊は25日玉砕した。 この時期この方面には9隻の潜水艦が配備されていたが、6隻が未帰還となって、その中には平尾淑人乗艦のロ号38潜も入っている。わが方懸命の航空攻撃にもかかわらず大勢には変化がなく、米機動部隊は、厳重な警戒綱を突晩し五日にマーシャル諸島に来襲した。ルオット島も奇襲され、クエゼリン、ウオッゼにも来襲、ミレ、ヤルート、ナウル、オーシャンには大型機が釆攻した。 この時、第4艦隊長官の指揮する長良(川島英男)、五十鈴(橋口勝、中島文生)がトラックから同方面に進出した。 五十鈴には橋口 勝、中島文生両少尉が乗艦し、橋口少尉は、甲板士官兼後部応急班指揮官であった。5日ルオットに来襲した約70機の艦載機は、数次に分れ爆撃、雷撃を礁湖内に在泊中の五十鈴などに敢行した。五十鈴は、対空砲撃で不確実4機を含み18機を撃墜したが、敵機の発射した2本の魚雷が後部に命中、舵を吹き飛ばされたが沈没は免れた。 更に機銃掃射も加わって戦死20名、負傷40名を出した。橋口少尉は、後甲板にあって応急姓指揮官として防御に当っていた時、被雷の破片で右大腿部より切断、出血多量のため戦死した。 |