(戦況) 第二次空襲が終った約二時間半後に第三波が来襲した。 それは、第一次、第二次をしのぐ徹底的な攻撃であり、瑞鶴が午後二時一四分、瑞鳳はそれから一時間余り後にそれぞれ沈没した。瑞鶴分隊長の金丸光と石丸文義は幸い救助されている。 五十鈴は、千代田を曳航して脱出を図っていた。間断のない空襲のため、その都度曳航を中止しなければならず、更には五十鈴の燃料も残り少なくなったので、千代田乗員を同艦に収容した後処分することになったが、五十鈴も桟も共に被弾していて人力操舵中の状況では千代田に横付けして人員の収容をすることは不可能であった。 五十鈴艦長は、横に 《救出を断念して一時避退し、日没後再び引返す》と伝えて北上を始めた。この時がこの両艦が千代田を認めた最後であり、その後千代田の消息は絶え、終戦を迎えるまで行方不明のままであった。 五十鈴がはるか南の水平線上に千代田のものと思われを黒燈を認めでから約→時間後の午後四時頃のことであった。第二次空襲後も引続き日本艦隊上空にとどまって触摸を続けていた米軍機が空母への帰途、たまたま千代田を発見した。千代田は停止し、火災はだいぶん収っていたが、まだ多少くすぶっていた。 米機は、来月が退去しているものと判断し、低空で近接したところ、同艦から撃ってきたので、近くにおったデュボース少将の率いる重巡部隊にその旨通報し、これを誘導した。この垂巡部隊はミッチャー中将から北方に避退中の日本損傷艦迫撃を命ぜられて北上中であったのである。 この隊の砲撃で千代田は再び火災を生じた。一か小隊の敵駆逐艦部隊が千代田から流れ出ている濃い煙の陰を突っ込んでいき、魚雷攻撃をしようとしたが、その前に千代田は、午後四時四七分過ぎに左に転覆、しばらく横倒しになったままになっていたが、程なく沈んだ。 以上がモリソン戟史の伝える千代田の最期である。空襲が終ったので午後五時四七分、五十鈴は反転、単独で千代田乗員の救助のため南下した。途中瑞鶴などの乗員を救助中の若月(石川杏平)と初月に会い、初月を残して、若月と共に南下した。後に残った初月も千代田を撃沈した同じ部隊に捕捉され、(敵水上艦艇卜交戦中〉という報告を最後に消息を絶ってしまった。 小沢長官は、南方に残した駆逐艦が敵水上部隊に遭遇中であることを知り、主隊を反転し南下したが、燃料欠乏で北上中の五十鈴、若月を認め、その報告で初月の交戦状況をはじめて知った。南下すること約一時間、敵情を得なかったので反転して、北上を始めた。 千代田艦長城英一郎大佐以下の乗員は、艦と運命を共にした。分隊長池田義夫中尉もこの艦で奮戦した後、その最期を遂げたのである。 |