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ミンドロ島に来攻
(駆逐艦桃) 福本淳司


海軍少佐福本淳司の戦歴

 扶桑 筑摩 大風 水雷長講習 桃
一九年一二月一五日戦死  二一歳四月
道庁立旭川中学校
父重次郎海軍軍人)母リホ
第六分隊の軍歌係 馬術係





 一二月一四日の航空攻撃はまず未明の索敵機の発進によって開始され、偵四の清木英雄大尉が彗星型偵察機で僚機とパンパン基地を発進してカモテス海の索敵に向のである。そのmH人の中の一人成田金彦大尉も特攻として彼の後を追っている。
 
 第八次多号輸送から帰ってきた駆逐艦桃には水雷長として福本淳司大尉が乗艦していた。同艦は、この日スビック附近で敵艦載機約五〇機の攻撃で直撃弾二発、至近弾十数発を受け、北上し高雄に向ったが、翌一五日夜の八時半、マニラの北西二一〇浬の北緯一六度○分、東経一一七度三分で米潜ホークビィル号に捕捉され、その雷撃で轟沈した。
 
 福本水雷長は、六月中旬のマリアナ沖海戦時、空母大鳳沈没の際、九死に一生を得ていたが、今回は轟沈であり脱出できなかったのであろう。敗戦の色濃い比島にあって空に海に奮戦していた期友も一人一人と欠けてゆき、数少なくなった駆逐艦乗りの福本大尉もまた南海の夜の海に消えた。