(戦局) 沖縄作戦・西日本に敵機来襲・呉地区での邀撃 山田良市などの源田・紫電戦闘機隊の遊撃をかわして進入した敵機群は大挙して呉軍港に飛来し、海軍工廠、軍需部施設及び在泊艦艇に攻撃を集中した。この攻撃は、敵がわが本土の軍事基地に行なった最初の大規模なものであり、フィリピンからようやく帰って釆た戟艦伊勢、日向 、空母竜鳳、軽巡大淀(浜尾誠)などはこの爆撃により実質的にその戟闘力を失い、戦艦榛名、重巡利根(中村守二)、新造空母天橋で対空戦闘を実施したことを回想する 午前九時三〇分ごろの第三波によって、停泊中であった大淀は格納庫附近から機関室にかけて直撃弾五発を受け、前部に浸水、沈下を始め右舷に約一五度傾斜した。この被害により沈没の恐れを生じたので、艦長はいったん江田島海岸に欄坐を決意して出港したが、傾斜も増加しなくなり空襲も終ったので、港内に引き返し消火、応急修理を実施し、難を避け得た。 この艦の分隊長で子爵の浜尾誠大尉はフィリピン沖海戦にも健在で連戦してきたが、この日の空襲で敵機の機銃掃射を受け戦死してしまった。の戦闘で合計五四名の戦死者を出した大淀はその後江田島の湾内に避泊中、七月二八日再度の空襲で横転沈没している。 |