海軍兵学校第七十一期の英霊331柱の諸兄に慎んで祭文を捧げます。
今年も七一会主催の恒例の慰霊祭が行われ多数のご遺族と期友が参集しました。 この慰霊祭が、七一会としての慰霊祭の最後となります 昭和二十六年五月二十七日 かっての海軍記念日に ここ靖国神社において第1回の慰霊祭が始まり 今年で59回目となりました。
名残惜しい思いですが 戦後64年 諸兄のご両親も既に逝去され 同期の生存者も総員85歳を越え 言うならば老いぼれてまいりました ここに一応の区切りをつけることで衆議になった次第です。
今後は神社側で 毎年六月一日 この日は われわれが 昭和十八年 海軍少尉に任官し 晴れて海軍将校になった日です 神社側で永代神楽が上げられ 慰霊が行われます ご遺族の方々 同期の者も 有志が参列することになりましょう。
思えば われわれの多感な少年時代は緊迫したいろいろな事件がありました 満州事変に始まり 支那事変への拡大 五・一五事件 国際連盟脱退 海軍軍縮条約破棄 二・二六事件等々でした この重大時期に 帝国海軍で活躍すべく 海軍士官を志し 海軍兵学校に受験したのでした。
そして 昭和十四年十二月一日久遷宮徳彦王殿下以下601名が江田島海軍兵学校に集い 晴れの入校式を迎えて海軍生徒に任命されました。
四号生徒歓迎の夜嵐の洗礼を受けて始まった入校教育 その一環として広島市奥の毛利藩の遺跡を訪ね 元就遺訓の 『百万一心』にあやかって 『六百一心』を誓い 爾来わが七十一期のモットーとして 同期の絆を固めてまいりました。 それから3年 夏の炎天 冬の古鷹颪のなか 学業の研鑽に 心身の鍛練に努め 立派な海軍将校を目指して 逞しく成長していきました。
われわれが 一号生徒になった一カ月後の十六年十二月八日 太平洋戦争に突入します 朝 生徒館に 「本朝未明 米英卜交戦状態ニ入レリ」の放送が流れた時は まさに緊張の一瞬でした それから卒業までの1年間 戦勢に一喜一憂しながらも 来るべき日に向けて 死生観の透徹への修養にも配慮することにもなります。
かくて 十七年十一月十四日 晴れの卒業を向かえ われわれ七十一期581名は 少尉候補生を拝命 勇躍江田島を後にします。 当時の戦況です 日米の天王山とも言われたガダルカナルでの死闘の真っ最中でした 同年五月のミッドウェー海戦における敗北後の戦勢は我に利あらず ガダルカナルにおいても苦戦が続いていました 卒業の日の前後には 海軍の象徴と言われた戦艦二隻 「比叡」と「霧島」が同島近傍での戦闘で沈んでもいます われわれの一日も早い戦線参加が期待され 更なる決意を固めることになります。 第一艦隊の戦艦群における 内海での二カ月の候補生実習の後 明けて十八年上京 一月十五日天皇陛下の拝謁と宮中三殿の拝観を賜ります 英霊の諸兄の多くとは ここで最後の別れとなったのでした。
戦勢利非ず 遂に二月一日 ガダルカナルからの撤収となり 海軍挙げての作戦となり わが七十一期の初陣となります 撤退作戦は成功しますが 同方面の戦闘はますます熾烈を極めます そして三月三日には わがクラス第一号戦死者として浅田実候補生が東ニューギニヤへの船団護衛作戦中に戦死します 続いて二日後の三月五日には木村三郎候補生の戦死と続く厳しい戦況が続きます。
このような厳しい戦況の中 東は米国西岸から西は印度洋 北はアリューシャンから南は豪州にかけて 空に 海に 海中に また陸にと活躍は続きましたが 遂に二十年八月十五日の終戦を迎えることになりました その二年半の勇戦敢闘の末 331名の諸兄が英霊になられたのでした 卒業581名の57%に達しています。
戦後の徹底的に彼壊された国土 経済の立て直しに 国民挙げて懸命に働きました 日本国民の優秀さ 勤勉さにより 戦後四〜五十年後には 世界第二位の経済大国にまで復活して現在に至っています この繁栄は戦後六十四年間平和が続いたためでもあります この平和の持続には かって戦った相手の米国の支援も大きく寄与しています 強固な日米同盟に基づく安全保障態勢です 米国は前大戦で戦った日本人の優秀さを高く評価し 頼りになるパートナーとの判断からの肩入れです 英霊諸兄の勇戦敢闘の賜なのです。
この平和の継続は 好ましい反面 所謂『平和ぼけ』による 国家観の希薄化 愛国心の喪失自分の国は自分で守るの気概の欠如 国の安全に関する危機感の希薄化といった重大な欠落が 相当数の国民の中に蔓延してきている現実を醸し出しています。 現在の国際情勢からは 日米体制を堅持しつつ この『平和ぼけ』から来る諸問題の解決が望まれるところです。
近時 国際協力による自衛隊の派遣の事象が出てまいり 好ましい方向と思いますが 残念ながら自衛隊は 真の軍隊ではありません 憲法上から また各種法制上の制約に縛られ 軍隊として持つべき基本的な活動が制限されています。
自衛隊が真の軍隊となり そして わが国が真の独立国家になる日を渇望するこの頃です 近時 これらの問題点の認識も次第に高まり 改善の日か来るものと期待しています。
現状は 只今申し上げたような情勢下にあります。
英霊の諸兄におかれましては 永遠の日本国及び日本国民の平和と安全に 更にご遺族の安寧に更にまた 先に申し上げた現在の諸問題が一日も早く改善される日が来るよう ご加護をお願い致す次第です。
七一会としての最後の慰霊祭 誠に名残惜しい次第ですが これからは 随時 ご遺族の方々は勿論 同期の健在者も 参拝に参ることになります 永遠に安らかにお休み下さい。
拝礼
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