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 ここが入口です
 
 
日本と日本の未来のため、命をかけ闘った人がいた。このことを知ってほしい、考えて欲しい。

このホームページは、先の大戦勃発2年前の昭和1312月に、「海兵」と言われていた、呉港外にある江田島市の、海軍兵学校に全国から18人に一人といわれた合格率を突破した1720歳の少年601名の戦争体験記である。

対米を意識した第3次軍備計画で初めて600名(70期は450名、それまでは300名以下)採用され、開戦で早く卒業させてくれないと戦争が終わってしまうと嘆願したが、叶えられず、戦時下、海軍魂を徹底的に鍛えられ、一年後の時点、すなわち戦局が逆転したガ島撤退作戦時直前に卒業、米海軍反抗での雪崩的な敗戦の坂道を支えきれず、期友の/3、331を失った若武者の生と死の実像である

HP構成の概要

HP構成の概要は次のとおりであるが、戦争を知らない読者の皆様にとっては単行本500頁に及ぶ全章の内容を一気に読まれることはご無理であろうと思いますが、是非、全記述内容をご覧になって頂きたいと思います。それが戦没者への最大の供養であると考えます。

 @第1章「江田島生活」は、明治以降の旧海軍の伝統と文化を、在校期間3ヵ年に短縮されたが、全容継承した最後のクラスである。

 A第2章「太平洋戦争での戦陣」は、敗戦の坂道を支えきれず、期友331を失った若武者の生と死の実像である。

 B第3章「戦争終結」は、敗戦後の処理、復員輸送の概要である。


 C第4章「戦没者顕彰」は、戦陣で散華した、訓練中に殉職した、不幸病に倒れた総計331柱の個人別戦歴である。

 D第5章「帝国海軍」は、米国海軍に其のよさを認められたがゆえにいち早く海上自衛隊として再生、復活した。

戦没者と其の家族にとっての最大な不幸事を再び起こさない様にというのが、江田島生活を共にし、そして戦陣で辛くも生き残った同期生たちにとっての最後の願であることをご理解いただきたい。

あの大戦は既に歴史的な事象となりましたが、今日の繁栄は戦陣でなくなった約350万の戦没者の犠牲の上にあることは誤りありません。其の人々と再会したとき、戦後60余年の今日が社会的、経済的、教育的、道徳的に混乱している現実を何と報告してよいのか戸惑うところである。

このホームページの題名は、期友帖佐裕君が在学中に作詞した戦時歌謡曲 『同期の桜』 からとった同名の71期戦史シリーズ 『同期の桜海兵七十一期』 によるものである。