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第1 卒業・各科海軍少尉候補生の実習 (前期、後期に別れ少尉任官までの6ヵ月間)

1、卒業・少尉候補生実習(前期)、2ヵ月間

(1)柱島艦隊で候補生実務実習、昔の遠洋航海に当たる

年月日 行動、戦況・任命等 記事、参考事項 戦没状況
17・11・14 海軍少尉候補生任命(581名)
前期実務実習の開始 長門(旗艦)、伊勢、日向
 扶桑、山城、
新鋭艦・武蔵
瀬戸内海西部の柱島艦隊泊地にて

 一人前の各科初級士官となるための実務実習(即ち見習実習)は、戦時下、猫の手も借りたい時期に瀬戸内海西部、岩国沖の聯合艦隊錨地の「柱島泊地」を基地として戦艦6隻で2か月間みっちり実施されたが、詳細は省略する。

(2)、実務実習終了による艦隊配属の発令

配属艦種、部隊別の配員状況は次のとおり

配属先 艦種別 配属艦と員数
大型艦 戦艦 大和などの9隻に  93名
巡洋艦 愛宕などの32隻に 185名
空母 瑞鶴などの10隻に  55名
各種母艦  日進などの4隻に 19名
駆逐艦
 駆逐隊付として18個駆逐隊に 42名
潜水艦
 潜水隊付として8個潜水隊に 19名
最前線の陸上部隊 南東方面部隊(ラバウル方面)の基地航空隊と根拠地隊・警備隊 71名
南西方面部隊(現在のインドネシア方面)の基地航空隊と警備隊根拠地隊
第39期飛行学生予定者 拝謁後そのまま集団で、霞ヶ浦練習航空隊に入隊
(「航空部隊での戦陣」参照)
100名ほど
 
(3) 昭和天皇への拝謁、嶋田海相、永野軍令部長主催の出陣式に参加

 特別列車により上京、久しぶりの家族、親戚と面談、18年1月15日、集団にて坂下門から皇居に入り、当時の今上陛下(昭和天皇)への拝謁をたまわり、宮中三殿参拝した。
芝水交社での出陣式 ・海軍省にて嶋田大臣訓示
・芝水交社にて嶋田海相、永野軍令部長の午餐会
・記念写真撮影
・任地に赴任

(4) 新任地への赴任(後期実務実習の開始)

18・ 1・20 実施部隊に赴任 後期実務実習開始  新配置にて少尉任官までの3ヵ月間

 出陣式を終えたのち、次のように夫々の新配置に就くため、集団で、個別に初陣することになるが、これが家族親戚、同期生との別離となった者が多く、その後の参戦状況は項を改めて述べる。

 これらの配属は平時の後期の候補生実習としての艦隊配属に当たるが、戦時下にあっ我々には戦艦、空母、巡洋艦のような大型艦に乗艦者の期友のみが士官室士官指導による正規の初級士官勤務を受けたのである。駆逐艦、潜水艦等の小艦艇にあっては即実戦配備の初陣であり、
駆逐艦に配乗した浅田実、木村三郎両候補生は1ヵ月後に戦死することになる。

 70期生の卒業は開戦への配備艦艇が内地出撃直前で、多くは呉で、一部は洋上で着任した。我々は開戦1ヵ年後になった時期の卒業で、作戦海域は膨大となり、配属艦の所在は指導官の指示で初めて知った。

 ・決戦正面のトラック、ラバウル方面への赴任者は呉に引き返し、初陣の戦艦武蔵等に便乗しトラック基地に向け出陣
 ・インドネシア、シンガポール方面の比較的閑散な南西方面への赴任者は横浜出港の豪華船鎌倉丸に便乗して出陣
 ・千島方面での作戦に従事中の艦艇への配乗者は大湊まで陸行し、出撃艦に便乗出陣
 ・霞ヶ浦練習航空隊に入隊するものはそのまま隊伍赴任

  (管理人注)

 大型艦・外地の陸上部隊に配属になった者の多くは、第2次の航空搭乗員(第40期飛行学生)、潜水艦配乗員(第9〜12期普通科学生)の予定者で、少尉任官とともに夫々の課程に進む。さらに、その後に駆逐艦の通信士に配属され所謂「車曳き」となる

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